よくある経営者と従業員のギャップを「お弁当を詰める仕事」で考えてみる
かなり前のこと。
ある案件で、クライアントから画像で資料が送られてきたので、「この画像にある表をExcelに入力してください」と人にお願いしたところ、「フォーマットが無ければ入力できません。フォーマットをください」と言われたことがあります。
見たままを入力して表の体裁に整えるだけなんだけどなぁ、とちょっと驚きました。自分でちょっと考えてみたりしないのかなぁ、と。
とはいえ、こちらがフォーマットを提供すれば淡々と正確に入力してくれるはずなので、怒るのは筋ちがいかもしれない、と自分の気持ちを抑えることにしました。
経営者やマネージャーがよくぼやくこと。
ここまでやってくれて当たり前だと思っているのにやってくれない。
ここまで考えて当たり前だと思っているのに考えてくれない。
そう考えてしまうのはとても危険かもしれません。
自分で判断するかしないか、自分で考えるか考えないか、どこまで工夫するか、リスクを取るか取らないか…
こういったことには人によってかなり違いがあります。
(年齢や学歴、職業はあまり関係ありません)
そして、このような仕事に対する感覚の違いが、経営者と従業員、営業と製造、マネージャーと部下、発注者と受注者のよくあるギャップを生んでいるように思います。
単純化するために、「お弁当を詰める仕事」を想定してみます。
「お弁当を詰めてください」と言われた時に、だいたい3種類ぐらいの人がいます。
①詰め方のマニュアルをもらって、その通りに詰める人
②自分でベストな詰め方を考えて詰める人
③詰めた上で何らかの付加価値を付けようとする人(デコ弁にするとか)
(ビジネス書とかでは、
④他の人に詰めてもらうように頼む人
⑤詰めるための仕組みを考える人
が出てきそうですが、少数と考えられるのでここでは省略)
言い換えると、
①マニュアルに従う人
②工夫する人
③付加価値をつける人
(④管理をする人
⑤仕組みを作る人)
と言うべきでしょうか。
冒頭で出てきた、「フォーマットがないと入力できない人」は①の代表例です。
一般的には、
②③の人の方が①の人より優秀だと思われがちだし、②③の人が①の人に対して「考えてくれない」と感じるケースが多いです。そして、お給料や役職も①の人より②③の人の方が高いケースが多いですね。
しかし、日本の戦後の奇跡的な復興や成長を考えると、ほんのちょっとの④⑤の人、少数の②③の人、圧倒的多数の①の人が高度経済成長期を支えてきたわけで、真面目に正確に指示されたことをこなしてきた①の人たちを否定してはいけないと思います。
ただし、すでにいろいろな方が言っているように、①の人たちの仕事は外国人労働者やAIに奪われつつあるわけで、その点については危機感を持った方が良いでしょう。
当然ながら、経営者やマネージャーには②③④(たまに⑤)の人が多いので、①の人の感覚がわからず、ギャップが生まれやすくなります。しかし、それは①の人が悪いのでも、経営者やマネージャーが悪いのでも決してなく、単純に仕事の感覚や、自分が社会の中で置かれていると感じているレイヤーが違うだけの話です。経営者やマネージャーは、今でも多数を占める①の人ときちんと向き合っていかなければならないのだと思います。
・①の人の感覚を理解すること
・①の人が人生の中で仕事をどう位置づけているのか、どう成長したいのかを考えてみること
・①の人が成長できるような材料を提供すること
・その上で適切な仕事の配分をすること
そんなことが、今からの経営者やマネージャーには必要なのかもしれない、と思っています。