名前の話

 こんにちはこんばんは、名崎凪沙です。

 別に改めてしなきゃいけないような話でもないし、もう聞いたよって人もいると思うんですが、ちょっとばかし残しておきたくなったので。
 
 名崎凪沙って、当然ながら本名ではありません。まあわかると思うけど。今調べたら名崎って相当珍しいらしく、兵庫県中心に10人とかそういう単位でしかいないらしいです。全く縁もゆかりもない人間が勝手に名乗って申し訳ありません。以前から使っていた下の名前「なぎさ」のもじり以上の意味はないので許してください。

 私は昨年の春にサイカイ式という団体で脚本家を務めたのですが、そのフライヤーには私の本名が載っています。これはサイカイ式という団体の出自や公演趣旨など色々を鑑みてそうしました。でもその後関わった作品のクレジットは全て名崎凪沙名義になっています。恐らく今後も私が何かしらの形で創作物を発表するとき、そこに乗る名前は名崎凪沙だと思います。
 本名が嫌いなわけでも、正体を隠したいわけでもありません(というかもしそうなら既にだいぶ手遅れ)。
 ただ、本名は両親のくれた名前だということがどうしても重石になっている気がするんです。本名が大切であるからこそ。両親のつけてくれた、意味のある名前だからこそ。その名前で発表する作品が両親の意に沿わないものであったらどうしようという責任を感じてしまう。
 これは考えすぎかもしれませんし、もしかしたら逃げなのかもしれません。でも私が私に作れる最強のものを純度の高いまま世に出したいのであれば、本名のままでは無理だと思った。

 名崎凪沙は、本名の私とは多分イコールではない気がします。つけた名前の数だけ私がいるし、それは増えたり減ったり内包したりされたりしているわけだが、ともかく。私のすべてではないからこそ、名崎凪沙は少しばかり自由になれるんだと思います。
 
 先述のように名崎凪沙の「名崎」は単なるアナグラムです。漢字は適当に収まりのよさそうな当て字。「凪沙」が凪沙という漢字なのも、ただかわいいと思ったから。「なぎさ」っていう名前は、まあ、使い始めた数年前にはちゃんと意味を持っていたのですが、それはもう既に意味を成していないのでこれも実質無意味ですね。空っぽの名前です。ただ、私が私につけた名前。それが私にとっては大事なのでした。これからこの名前が、意味を創っていくのだと思います。

 というわけで、特に必要もない自分語りをしてしまいました。そう、ひとつ付け加えるなら、実はもうだいぶ馴染んでいてもはや最近は本名よりも呼ばれ慣れているので気軽に凪沙って呼んでもらえたら嬉しいです。もちろん本名で呼び慣れてるお友達は本名で呼んでくれればいいし、サークルネームでも、他のアカウント名でも、なんでも。それら全て少しずつ違う私で、でも全部私なので。
 これからもよろしくお願いします。名崎凪沙でした。

 


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