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雲月記

雨水が過ぎ、啓蟄となりました。過ぎゆく時の流れに身を任せる前に、少しだけ、季節を偲びましょう。

私は空を、特に雲を見るのが好きです。見出し画像(2月28日撮影)は快晴ですけれど、ただ晴れ晴れしいというのよりも、眺めて楽しい雲があった方が好きだったりします。けれど、私が雨水のうちに見た空は、これが一番でした。

雲の何が良いって、その神聖さです。光が当たって陰影が生まれた雲には、何か人間にはたどり着けないような神秘があるように思われるのです。古代の人が天球という概念を生み出したのも納得が行きます。雲の上、その中には、何か楽園があるような気がしてならない。そこに行けば、永遠の静謐と幸福が得られると思わせる力ががある。それらを求めてしまうのです。心を掴まれて、そこへ行きたくて、少し苦しくさせてくれる。その感触が大好きです。

光の当たり具合がとっても神秘的な雲。

雨水は過ごしやすかったです。まだ寒さは残りますけれど、春の訪れを予感させる温かさがあります。綺麗に晴れた日が多かったものですから、外に出るのも心地良かった。そういう日は、外に出ると、陽光を浴びて自然と笑みが溢れました。空のおかげか、心も荒れる事なく穏やかに過ごせたと思います。

たった15日前のことなのに、思い出そうとすると意外に思い出せないものです。何を見て何を思ったのか、2週間分くらいなら丸々覚えていたって良いのに。不満を感じることもあります。けれどきっと、それも私では触れられない私の思うところがあるからで、私の無意識はいつだって私の為を思っているのだという確信があります。私は私にとって害になる事など何一つ出来やしないのだという自信が。だから、今日の事も、明日になれば忘れます。残るのはこの文章だけ。「全ては歴史的遠近法の彼方で古典になって」いって、その古典も、いずれは果てと消えるでしょう。
私はそのことを愛しています。

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