自己犠牲と思いやりの難しさ

私にとって、周りにいてくれる友人は何よりも大切なもの。
私が生きる理由でもあるし、元気でいられる理由でもある。平たく言えば、友人に依存している。

だから、できるだけ大切な友人たちの助けになりたいと思うし、その為に自分が犠牲になったり傷つくことは必要なことだと考えている部分がある。

わたしは友達のことを信じている反面、信じられない。だから縁を繋ぎ止める為に自己犠牲してでも尽くそうとする。
そういう生き方しかできない。

けれども、周りの友人たちは「その生き方はあなたが苦しく感じるし、私たちも見ていて辛い」という。
わたしはこの生き方に苦しさを感じたことはない。いや、正確には苦しさを感じる事がもうできない。その感覚が麻痺してしまっている。

自分が苦しんで、辛くても、その犠牲で友達を助けられるのなら、それに越したことはないし、縁を繋ぎ止められるならより良いと考えるのがわたしだから。


だから、私があなたのことを大事に想っている分、私のことも大切にしてほしいと願ってしまう。

心のもやもやが積もって苦しい時、助けが欲しいときににべもなく断られると、予想外で言葉に詰まる。
「彼氏/彼女とどっちが大事なの」と聞けば迷わず彼氏/彼女と答える友達。その瞬間に、わたしは何のために生きていたんだろう。何のために尽くしてきたんだろうと考えてしまう。
本当は、見返りなんて求める気はなかったのに、そのときになって急に、見返りが欲しくなる。

そして、まだ全然尽くせてなかったからいなくなっちゃったんだ。もっと自分を殺して、相手に尽くさなきゃいけないんだ。そう考えた。
だからある時は「自分の貯金全部溶かしてでもこの人を養おう」なんて考えたこともあったし、相手の心の痛みを全部自分が引き受けようとしたこともある。
自分を犠牲にして、それで友達が幸せに近づくならそれでいいやと本気で考えているから

誰でもいいから、私が尽くすのと同じくらいの感情を、私にください。
言葉なんかの薄っぺらいものじゃなく、行動がくっついた、重さがあって安心できるものを


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?