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孤独と才能
「孤独は人を殺す」
そんな言葉を聞いたことはないか。
閉ざされた世界は人を恐怖に陥れ閉塞感から人は病む。
才能を持つと崇められた人間は早死であることが多い。
不思議なことに何故だろう。
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孤独のお話
昔芝居をやっていた頃、突然自問自答を始めだした。
そして私は芝居を辞めてしまった。
色んな人にまたやらないのか、勿体ないという言葉を貰ったりするが何故だろう。やりたいとは思っても芸能界に行きたいとは二度と思わない。
芝居を続けていくにあたって「個性」というものを探していった。
誰とも重ならない、唯一無二の自分だけの輝き。自分だけの世界。
個性を求めていた結果、私は孤独に耐えられなくなった。
個性とは?
最初多数の人が自分には個性がないから個性を作らねば、と変な風に息巻いて変なキャラ作りをしたり、わざと目立とうとしていた。
あえて面白いことをする。あえて周りと違ったことをする。
けれど不思議なもので自分じゃない上書きされている相手の言動に人はよく気づくものだ。
みんな同じような個性の作り方をするから、結果目立たなくなって埋もれてしまう。
なんでかと言うとみんなやっぱり「売れたいから」「仕事が欲しいから」「テレビに出たいから」
だからこそ今売れている芸能人の中で「本当は役者になる気はなかったんだけど」みたいなフレーズをたまに聞くのだ。
そっちの方が目立つから。
一般世界では役者を目指す人はマイノリティーになるがオーディション会場では一転して
「売れたいと願っている人がマジョリティーになり別に、と思っている人がマイノリティーになる」
ということでひとつ思った。
個性とは何も着飾らないありのままの価値観や感性を持った私である
と、そんな当たり前なことに19歳で気づいた。
無個性も個性だし奇抜なのも個性である。
ただ個性を極めるためには
「自分の心の声を聞こえるように研究せねばならない、流されず自分の意思を持ち意見できること」だと気づいた。
そしてそれは一人きりの戦いであることにも気づいた
話がまとまらなくなってしまった。
で、だ。
才能のお話
誰だって何らかの才能は欲しいと思うだろう。
そして何らかの才能があるだろう、なにか周りより優れているだろうと思っていたい人が大半だと思う。
ハッキリという。そう思っているあなたは凡人だ。私含めて。
私も芝居の才能がある、感性の才能がある、であろうと思っていた人間のひとりだ、過去は。
今は違う。ただの凡人だ。自己顕示欲の強い周りとちょっとだけ変わっているただの凡人である。
ただ一つだけ照れくさいことを言うと「天才になりきれない天才だった」
事実、芝居をやっていた頃は天才、天才、ともてはやされ私だけ周りとは違う育てかたをしていく、と言われたものだ。
「他の奴には麦飯を食わせるがチワワには白米を食わせて育てる」
と言われていた。懐かしい。
確かにチワワは周りよりも変わっている。何となく自分でもリンゴを見た時に「赤い」と周りが言うのに対して唐突に「鉛筆に似てる」と真顔で答えちゃうアホな子だ。
アホだけど個性は丸出しである。
ただ私が鉛筆に似てると思っても周りには理解して貰えない。
突き出た個性は理解されない。
その個性を上手く芝居に乗せたり歌に乗せたり文章に乗せたりする人を人々は「天才」と呼ぶ。
そしてそれはやはり一般的には理解されない感覚であった。
だからこそ何らかの才能があると孤独になる。
前提として才能がある。そしてそれを伸ばすためには周りと違う感性を大きくしていかなければならない。
周りと違う自分を受けいれ許し大きくしていかなければならない。
そしてそれは自分自身との対話によって得られる。
周りに理解されることを諦めなければならない。
そしてそれによって出来た大きな孤独な槍は、同じく孤独な穴を持つ人の心にすっぽりと入っていくのだろう。
そんなことを考えた私は天才にならなくてもいいや、と思うようになった。
寂しいのは嫌いだもん。
だから個性の追求を辞めた。
1人はやだもん。
創造性と狂気は紙一重である、という研究結果がある。
まさにその通りである。
人より並外れた狂気による破壊によって芸術は初めて芸術になる。
並外れているから人々の目に留まる。
けどその狂気は作者の心をどんどんどんどん蝕んでいく。
孤独感、自責の念
感情爆発とは感情を極限まで追い込んで溜め込まないと上手く爆発しない。
そしてそれのエネルギー負荷は半端なものじゃない。
そりゃ早死するわって感じだ。
芸術には必ずなんらかの「愛 」の要素がひとつ入っているらしい。
世界愛、家族愛、兄弟愛
愛はきっと有限なのではないだろうか。
その愛を私は自分のために使いたい、簡単に言うと精神的にもう病みたくない、と思って芝居を辞めてしまった。
平穏な日々を手に入れた。
うっ…まだまだ描きたいことあったけど…
眠過ぎて…寝ます…( ˇωˇ )