【大舞台で惜しい!価値観が変わったレース】UTMF STY2018
日本人として一度は登ってみたい富士山。富士登山をした日本人の割合は1割未満らしいが、富士山の周りの山々・森林を走って一周した日本人がどれくらいいるだろうか。一周にして走行距離約170キロ・累積獲得標高8000メートル。富士山登山は実際のところ5合目まで車で行き、そこから頂上を目指すため、登る距離にして10キロ未満・獲得標高にして1700メートル。富士山登山も本格的な登山であるため、決して楽なものではない。しかし、この数字の差が表すように、富士山一周走行の厳しさは全く異質なものである。私個人的に富士登山は5〜6回したことがあり、もちろん厳しさ・楽しさも分かっていた。しかし富士山一周走行についてはそもそもそんなものがあることさえ、トレイルランニングを始める前までは知らなかった。
マラソントレーニングの一環として、始めたトレイルランニング。いつの間にか、アスファルトの平坦な道を走るよりも、山々の木々、木々から差し込む日光、凸凹の土の道、路面の石を避けながらあるいは石を足置き場にしながら走り、頂上からの景色を眺めながら風を感じて走ることに魅力を感じ、山を走る割合が、次第にロードのトレーニングを上回るようになった。トレイルランの大会も数多く出場するようになり、距離も成績も伸ばせていく事が楽しく、トレイルランの世界に没頭する事になった。
そして、トレイルランナーの誰もが知ってるであろう大会がある。それが富士山一周170キロを走るUTMF(ウルトラトレイルマウントフジ)である。元々は海外のUTMB(ウルトラトレイルモンブラン)の日本版を開催しようとトレイルランニング先駆者である鏑木毅氏が中心となり、日本一の富士山を舞台にした大会が開催されることになった。まだUTMFの歴史は浅く、2012年から開催されたばかりである。そのため、毎年僅かなコース変更が繰り返され、現在に至る。前回大会が9月開催であり、大雨の時期と重なり、大会の途中中止が余儀なくされ、天候のリスクを避けるよう今大会は4月開催となった。またコースも大会開催を考慮し、自然環境に脆弱なエリアは外される事になり、開始以降始めて一周しないコース設定となった(距離・獲得標高は同標準)。もちろん、UTMF170キロには参加料を払えば、誰でも走れる訳ではない。出場資格が必要である。国際トレイルランニング協会公認のトレイルランニングレースの完走が必要であり、完走ポイント基準を満たせば出場資格を得られる。前置きを長々と書いているが、私自身UTMFに出場するポイント資格が無く、UTMFと同時開催であるSTY(静岡TO山梨、走行92キロ、累積獲得標高4100メートル)にまず出場を目指し、ポイント資格を貯めて、なおかつ抽選を突破し、晴れて出場が決定した。去年の秋頃に今大会の出場が決定してから、最大目標としてトレーニングを積んだ。
出場が決定した去年の秋頃から、いきなり脚を故障してしまう。大阪マラソン後に、疲労回復よりもトレーニングを優先してしまい、疲労骨折、ひざの痛みに苦しむことになり、この冬はケガを悪化させないように、なおかつSTYには完全な状態に出来るように目指した。2月には田上駅伝と京都マラソンがあった。田上駅伝はひざが痛く、痛み止めを飲んでの強行出場となった。京都マラソンはフルマラソンであり、脚への負担を考えれば無理をしたくなかったが、受付に行ったら雰囲気が良く、気持ちも盛り上がり、出場し無事サブスリーで走れることができた。3月に入れば、ほぼ脚の不安が無くなり、トレイル復帰初戦の神戸六甲トレイルランでトップでゴールでき、4月には京都一周トレイルランでもトップでゴールできた。3月には月間走行距離も300キロまで伸ばすことができ、かなり順調な仕上がりである。
いよいよ迎えた4月27〜28日のUTMFのSTY部門。金曜日の12時にレーススタートという事で、木曜・金曜日と年休を申請して万全の用意で富士山へ向かう。富士山が見えるか見えないかは正直運である。同行はストイック友達である同じランナーズの平阪氏。
木曜日の朝、車で静岡へ向かい、新東名清水PAに到着。ここで休憩し、昼前にご飯を食べる。伝説のすた丼というお店に入る。関西には京都・大阪の2店舗しかないが、にんにく醤油が効いていて、値段の割に量も多く、とても美味しかった。家の近くにあれば足繁く通うこと間違いなし。その後、富士山の麓の山中湖に到着。綺麗に富士山が見える。今日はラッキーであると、早くも来て良かったと思う。昼過ぎにフィニッシュ地点である大池公園という公園に到着。ここで、事前受付と必携品チェックを行う。ちょうど受付始まったばかりで、アジア系の参加者が列をなしていた。UTMFは海外からの参加者もとても多いと実感する。必携品チェックでは、携帯・マップ・ライト・雨具等を持参しているか係員チェックがあり、これをパスしないと出場できない。ライトに関しては、夜間走行が必須なため、ライト2個とそれぞれの予備バッテリーが求められる。12月に出場した伊豆半島のトレイルランニングレースでも必携品チェックがあったが、ライトの予備バッテリーまではチェックされなかったため、今回用意していなかった。しかし、今回は予備バッテリーはあるのかと聞かれ、今はないです。車にありますと苦し紛れの言い訳をするも、それでは見せて下さいと言われるため、チェッククリア済の平阪氏のバッテリーを借りることに。それで何とか必携品チェックを通過出来た。レースの途中でもチェックされる可能性が高いため、結局バッテリーはその後買うことになった。必携品を全部搭載して走る事になると、相当な荷物量になる。平阪氏は万全の準備であったが、いかに荷物を減らして軽くして走ることが出来るかをテーマにしていた私にしても、4キロほどの荷物を背負ってザックがパンパンの状態になった。
受付も済ませ、エキスポで買い物も終え、この日は御殿場の宿に宿泊。4,000円で大浴場・朝食付のため、大満足であった。
レース当日の金曜日の朝、朝食バイキングを食べ、スタート地点の富士山こどもの国(静岡側)に到着。ここに車を置き、大池公園(山梨側)でフィニッシュしてバスで車を取りに帰る計画。スタート地点にもいろいろと催し物があり、まるで野外フェスみたいな感じである。少しブラブラしてると、目標・意気込みをこの旗に書いて下さいと、ペンを渡され、シンプルに「楽しむ!」と書き込む。目標は具体的に無く、完走はもちろんのこと、ある程度の順位だったらいいかなぁと思っていた。実際にSTYでも日本のほぼトップレースであり、全国及び海外からも有名ランナーが参加するため、30番〜50番くらい(参加者1000人枠)でゴール出来ればいいのかなと思っていた。荷物を預けて12時まで待機し、いよいよ迎えたスタートの時。スタート位置は100番目以内の前の方に陣取る。結局、荷物を極限まで減らすことにし、防寒具は一切持たなかった。
4月27日12時STYスタート。最初は下り基調で10キロほど林道を進む。ペースはキロ〜4分30秒を切って走る。下りでこのペースならそこまで負担はないのだが、いかんせん荷物が重い。そして暑い。心拍数が高くなる。周囲は楽そうに走っているが、割とキツい。女子トップの世界のズーミンこと吉住友里(気になる方は検索して下さい)に着いていく。女子では注目度が高いため、カメラクルーもところどころで撮影していた。しかしながら、そんなズーミンに着いて行けたのも12キロまでだった。何かしんどい、荷物のせいか、暑さのせいか分からなかった。22キロで第1エイドに到達。最初のエイドのため、水分だけ補給して先に進む。進みたかったが、気持ち的に少し休みたかった。2分くらいの滞在で22キロから次の50キロのエイドを目指す。
22〜50キロの区間では、これまでの区間と違い、天子山地というSTYの中で最難関区間である。最大1,600メートルの山に登る。しかし、天子山地の手前のロード区間で強烈な吐き気に襲われる。ペースも全く上がらず、止まって吐こうかどうかを考えていた。
どんどんランナーに抜かれる。吐いて気持ち悪さが治るとも思わず、こんな状態であと70キロ…無理だ。しかし、最大目標レースであり、完走したらフィニッシャーズベストが貰える、それだけをモチベーションに闘うことに。最悪に気持ち悪い状態で、天子山地の登り口に到着。女子ランナーにも2人ほど抜かれていく。せめて離されない距離で着いて行きたいと思うが、すぐ見えなくなった。リタイアを意識する、山の登り途中なので、ここでリタイアできないから降りたところまで行ってリタイアしようと決める。しかし、山降りたところも何もないだろうから、その頃は夜に差し掛かっているだろうし、寒い中何時間もピックアップを待つ…あ、防寒具が無い!と気づく。山の怖さを感じた瞬間である。万全の準備をしていた平阪氏の笑顔が思い浮かぶ。マズいマズい。50キロまで行かないと死ぬなと思いながら、急登をひたすらゆっくりペースで登る。後ろから5人くらいに抜かれる。もはや気にしない。どこまで続くのかと思うくらいの急登。滋賀にこんな急登ないなと思いながら、何とか天子山地最初の山頂到達。やっと登った、しんどかったと思っていると、不思議と気持ち悪さが無くなっていた。気持ち悪くなった原因と回復した理由は分からないが、とにかく助かった。その後天子山地の尾根ランニング区間へ。ピークが3つあり、それぞれで急登なため、天子山地を降りてくるまでに相当時間を要した。しかし、気持ち悪さが治ってからは、順位を7〜8番くらい上げる事が出来た。そしてまたロードの下りを経て50キロの麓第2エイドへ到達。
50キロの麓第2エイドではサポーターがいたら、直接飲食物等の私的サポートを受ける事が出来る。しかし、私にはサポーターはいない。富士宮焼きソバが補給食で食べられるエイドとのことで、食べてみる。半分も食べる事が出来なかった。気持ち悪さは完全には治っていないようだった。ここでのエイド滞在時間は6分ほど。ずっとここで休憩していたいが、次は60キロ地点に第3エイドがあるため、少し気が楽であった。
50〜60キロ区間は平地のトレイル区間と本栖湖に向かう1500メートルの峠越えがある。平地のトレイル区間では、もはやジョギングくらいのマイペースで進む。峠にさしかかるところで、暗くなりライトをここからゴールまで点ける事に。前に見える距離でランナーがいたため、一緒に暗闇の峠を登れて、ついていくだけで何だか楽しかった。そして登りきって下りでこのランナーを抜く。下りで疲れちゃったと道を譲ってくれた。このランナーとはゴール後少し仲良くなることに。そして60キロの本栖湖第3エイド到達。
本栖湖第3エイドでは、ゆば丼と地元の名産みのぶ饅頭が提供される。しかし固形物を体が全く受け付けないため、コーラを飲み、オレンジを食べるだけに留まる。ここで、一旦通過順位を聞いてみようと思い、スタッフの人に声をかけると20番目ですと。何だかんだ割と良い順位でこれている事に嬉しくなる。もうちょっと頑張ったら10番台。本当に頑張ろうと思った。このエイドでまた6分くらい滞在する。次の精進湖第4エイドも72キロ地点にあるため、まだ気が楽だった。ゴール後に知る事になるが、STYのチャンピオンはこのエイドは通過するだけだったようだ。
60〜72キロまでの区間は、登って頂上から下って、平地のトレイル区間を経て精進湖第4エイド到達に到達する。エイドを出ていきなり登るのだが、もはや歩いて登るしかできない。歩いて登っている最中、膝上の筋肉が両足何度も攣りそうになり、何度も立ち止まる。ここまで来れば前後のランナーと差はある程度開いているため、立ち止まっても抜かれる事は無かった。この区間でも2、3人抜く事ができて、順調だった。そして精進湖第4エイドに到達。
精進湖第4エイドに到着したのは、夜の9時30分くらい。もう9時間半走っている。ここで始めてトイレに行く。このエイドでもコーラとオレンジのみ摂取し、8分くらいの滞在で出発する。ここがSTYの最終エイドであり、残りは大池公園のフィニッシュまでの20キロを残す。
72〜92キロのフィニッシュ大池公園までは、6キロほどのロードの登りと最後の辛い足和田山の登り下りを経て、大池公園までの平地ロード5キロという構成。ここまでくるとロードの緩く続く登りも、キロ6分を切ることが出来ない。ロードを走っていると、横を通過する車が声援をかけてくれる。しかしながら、応える余裕は一切ない。ロードは歩く事が出来ないため、早くトレイル登り区間に着いて欲しいと思っていた。過去このロード区間は富士五湖ウルトラマラソンに出場した時にも通過した区間である。その時にはその時の辛さがあっただろうが、後ろを振り返るとライトの明かりが確認出来たため、手は抜けない辛い展開。やっとの事で、ロードを終え、最後の峠の足和田山へ。登りトレイルはどんな傾斜であろうとも、もう歩くしかできない。その点割り切れるので、楽であった。しかし、後ろのランナーの明かりがいよいよ迫ってきて、あっさり抜かれた。若い男性だった。この終盤でも軽い登りなら走っている。もうついていけないことは明白だった。そして、最後の峠を登り切って下り区間へ。太ももの上が攣りそうな状態がピークに達し、歩けないくらいにもなった。過去この攣り方で六甲トレイルをリタイアしたことがある。しかし今回はここまできて、リタイアはないため、何回も立ち止まってもゴールだけをただ目指した。不思議な事に攣って治ってを繰り返していると、何とか山を下る事が出来た。ここで立ち止まっていた序盤から飛ばしていたであろうランナーを抜いた。下りを終えると時計の累積距離から残り1〜2キロだろうと思っていたところ、スタッフの人にあと5キロありますと聞いて心底がっかりした。時間は夜の12時。河口湖周辺は人がおらず、孤独に5キロを進む。いよいよゴール手前にある橋が見えてきた。やっとここまで来れた。順位も10番台をキープ出来たと思う。フィニッシュタイムは12時間を超えてしまっているが、最初の吐き気を催してた頃からすると諦めずに頑張れた方である。そして、栄光のSTYフィニッシュ。ゴールした瞬間やった終わった!と口から出た言葉。安心感が押し寄せる。時間も深夜の時間であることから、ゴール付近には人がまばらな状態。ゴール順位は総合16位だった。女子には結局ズーミンのみ負けた。ズーミンは総合でも5位というダントツの成績。昨秋の若狭路トレイルランという大会では、40キロで10分差だったが、今回は1時間半も開いてしまった。世界のズーミンの強さの前に全く歯が立たなかった。日本トップクラスのレースで16位は想定よりも好成績で素直に嬉しく思った。なお、総合トップは10時間を切るタイムで日本のトップとの差は改めて痛感した。事前の用意、レース運び、補給の方法と僅かな勝負を分けるポイントを学んだレースであった。10位以内が入賞だったが、あと30分短縮できれば入賞出来ていて、日本有数のトレイルランナーとして認められたと思えば、序盤の不調が終盤まで響いたことが悔しい。出場者ほとんどが自分が納得いく完璧なレースは出来ないだろうが、目標レースへの準備が足りなかったとしか言わざるを得ない。
スタート前に「楽しむ!」と書いた事が結局全くレース中は余裕が無く出来なかったと反省。楽しむ事を忘れていたその時点で負けていたのかもしれない。レースを振り返ると、素晴らしいコースであり、ところどころでコース誘導やエイドでサポートをしてくれるボランティアスタッフの方もとても親切で、大会自体の雰囲気も最高で、一緒に走っているライバルも気さくであり、こんな楽しいレースは無いと思えるくらいだったのに。今後は勝負に行く事も大事であるが、楽しさあってのトレイルランニングである。その事を忘れずに速いトレイルランナーではなく、強いトレイルランナーになって来年もUTMFかSTYかはさておき、出場したいと思った。
12時過ぎにゴールしてから、朝4時頃に平阪氏もゴール。無事に2人とも完走する事ができた。朝4時頃まで、3〜4時間寒い中、野宿するような形になった。ここで仮眠所とかは用意されている訳でなく、寝袋があれば良かったと思った。朝8時がSTYの制限時間であり、続々とランナーがゴールしていた、ほとんどのランナーが徹夜で走ることになる。8時前のSTYの表彰式を見ながら、あの舞台に立ちたかったと悔しむが、それ以上に舞台のランナーの栄光を讃える事が出来た。
朝8時にSTY終了であるが、それからわずか数時間、UTMFのトップランナーがゴール地点にやってきた。UTMFは金曜日の15時スタートであり、170キロを走ってきたランナーである。アメリカのランナーだったが、世界レベルは凄すぎる。スペインのランナーも3分後に2位フィニッシュだったが、強すぎる。170キロ走ってきて、疲労を感じさせない状態。バケモノである。170キロのトレイルを20時間切って完走するなんて。ほとんどのUTMFランナーはまだ半分地点くらいなのに。
河口湖には29日まで滞在予定にしていたため、STYフィニッシュ後は2万円のご褒美宿に滞在。富士山の見える展望風呂で疲れを癒した。完走後の達成感と宿の贅沢さで満足感がピークである。29日日曜日に再度大池公園に向かいUTMFのフィニッシュランナーを眺めていた。この辺りでゴールするランナーは2日徹夜して、走っていることになる。それでも元気に笑顔で楽しみながらフィニッシュを迎えている。トップ選手だけの大会ではなく、制限時間ギリギリでも完走できる事が何より素晴らしいのだと思えた。STYの私たち以上に道中苦しんだだろうし、いろいろとドラマがあったに違い無い。そんなやり切った表情を一人一人がしていて、溢れんばかりのゴールの喜びを感じていて、本当に素敵だった。大会期間中最後まで天気が良く、富士山もずっとランナーを見守ってくれていた。本当に人生のいい経験が出来たと思って心の豊かさに繋がった。いきなりUTMFはどうしてもハードルは高いが、STYから参加を目指してみてはどうだろうかとかなりオススメしたい経験である。まずは走ること、目標達成に挑戦すること、そして反省すること、趣味の楽しみの極みを味わうことを共有したい。
なお、帰りは同じく、新東名の清水PAに寄ったのだが、伝説のすた丼でカレーを食べた。これもうまい。それだけでは飽き足りず、テイクアウトで唐揚げも買った。家に着いてから、唐揚げを食べた。これもうまい。本当に家の近くにあれば、通いたいお店である。