【この時リタイヤしてたらと思うとゾッとする】比叡山インターナショナルトレイルラン2018
大会に出場して今年で3年目になる。
初回は何もわからないまま50キロに参加し、7時間2分で完走した。初の本格的なトレイルレースで、体験したことない勾配がとてもしんどかった。
2年目は50mile部門が設けられたが、初回に続き50キロ部門で参加。1年間のトレイル経験を経て参加したが、当日の悪天候からか思うように記録は伸びず、6時間52分で完走だった。ゴール前の激坂を登りながら、50mileに参加する人はこれから後半部分をもう一周(30キロ)走らないといけないのか、僕には到底不可能だなと思っていた。
そしてまた1年間トレイル経験を積み、地方の大会では割と上位に食い込めたり優勝出来たり確かな進歩を感じていた。
そして3年目は50mileに挑戦。参加資格はフルマラソンサブスリーもしくは100キロ以上のトレイルレース完走者という条件がつく。50キロの制限時間は11時間であり、50mileの制限時間は11時間半である。最初の50キロを7時間30分で通過しないとその時点で失格となる。50キロの部で、今年出走した742人中25人しか7時間30分以内でゴールしていない。その50キロ関門をギリギリに通過しても残りの30キロをそれ同等のペースで走らないと完走できない、かなりのエリートレースである。その50mileの厳しさを分かった上で当日のスタートラインに立つ。
当日の天候は快晴。朝から20度くらいはありそうな気温。前日に受付を済ませていたため、上着を脱いで靴を履き替えるくらい。今回の荷物は、極力軽くしようと必携品であるライトと携帯、水分1キロ少々、ジェルを7つ、もし途中リタイアなら体が冷えそうなため、薄手の上着のみザックに詰めた。STYの時と比べ大幅に軽い。スタート地点でチームで記念撮影を終え、いよいよ緊張の8時50分のmileスタート。
スタート地点は比叡山根本中堂であるため、標高は高い。そこから比叡山の山頂である大比叡をまず登る。スタートして直後に階段箇所があるため、例年渋滞してタイムロスとなるが、今回は渋滞関係なくマイペースで進めた。スタート後の位置は10番前後。前方集団も残り80キロあるため、そこまで飛ばしている感じはない。自分も抑えながら登る。大比叡に到達し、下り箇所で6〜7番目あたりに位置した。ガーデンミュージアムの前を通るとそこからは5〜6キロはトレイルの下り区間となる。飛ばさないように飛ばさないように丁寧に攻める。途中林道を経て下り区間が終わると、ロテルド比叡までの登りである。乾いた土面で、傾斜は割とキツめである。前をいくランナーとは少し差を開けられる。しかし、ロテルド比叡のエイドで追いつき、石鳥居をくぐり、延暦寺境内のトレイルへ入っていく。ここからの区間は杉木立が美しく、割とフラットで走りやすくとても好きな区間である。無動寺明王堂を超え、坂本まで下る。調子よく下り切ったところで、知り合いの応援があり、今4番目で通過だよと位置の把握が出来た。そこから、比叡山高校のグランド横を通り、ケーブル駅まで一気に登る。普段の練習なら、この登りは全て走りきる事が出来る。この比叡山高校グランドからケーブル駅までの登りで走りきりたいと思っていたが、ここまでで17キロくらい走っているためか、走りきる事が出来なかった。先行きに少し不安を感じる。
そして、延暦寺会館の第二エイドを経て、スタート地点である根本中堂に帰ってくる。エイドで水分とオレンジを食べ、持っていたジェルを摂取し、根本中堂を通過。昨年の50キロ出場時は2時間42分だったが、今回は2時間20分で通過。去年と比べ確実に速くなっている。
レース中盤へと進む。延暦寺境内を走り、青龍寺のダウンヒルを経て、横高山の急勾配を登っていく。毎回横高山の登りに相当苦しむ。この青龍寺のダウンヒルの直前に前のランナーが転び、3位に上がった。ダウンヒルでは調子良くスピーディーに下りていき、横高山の登りへ。ここで心拍数をなるべくあげず、息をそこまで切らさず登ることを心がけた。確実に一歩一歩つづら折りの山道を登っていく。いつも感じるが、永遠に続きそうなつづら折りである。割と時間がかかったが、登りも終わりに近づいてきた。ここまで後続のランナーも前のランナーも全く見えなかった。登りを終えると、せりあい地蔵の給水ポイントがある。ここで、大勢のスタッフ、応援の声をかけてもらえる。ここにUTMFの日本人男性トップの大瀬さんと同じく女性トップの丹羽さんがスタンバイしてくれていた。エイドで給水だと思い、安心していると先ほど転んで追い抜いたランナーがもう迫っていた。そして、そのまますぐ横高山の頂上に向けて出発してしまった。再び4位に。登りは彼の方が圧倒的に有利だった。すぐに見えなくなり、横高山・水井山の連続登り区間が終わり、下りで追いかけようも中々その姿を捉える事が出来ない。その後、仰木方面へ向かい、まだまだ登り基調でレースは続く。レースコースの北限まで行くと、パラグライダーの飛行地点があり、見晴らしは絶景である。ここで、前をいく彼が少しコースロストしたようで、追いつき追い抜いた。滝寺までの下りを経て、3位4位ほぼ同時に滝寺給水所へ。このあたりで、暑さはピークを迎える。かけ水を全身に浴び、クールダウンする。そこから、仰木の林道区間へ。アスファルト舗装が施され、ロード区間という扱いである。このレースのポイントはこの区間をいかにスピーディに進めるかがタイム短縮につながる。当初の予定では全部走りたいと思っていたが、急傾斜は走れる力が無かった。争っていた彼も全部走れていなかったが、登りは差を開けられる展開。仰木第3エイドを経て、ロードの下りが続き、仰木の棚田へ。ここで3位の彼には差を開けられていたが、金髪の巨人の姿が見えた。ジョー・グラントである。ジョーはアメリカからの招待選手で、百戦錬磨のトレイルランナーである。年齢は自分より上であろうが、その大幅なストライドと経験豊富な強者である。棚田への下りロードを進んでいる位置関係は、2位に日本人の彼、3位にジョー、そして200mほど開いて4位に自分。手の届く範囲に2位。信じられない。50mileの猛者ばかり集う中、手の届く位置に2位が…。嬉しくてしょうがない。しかし、レースはまだちょうど半分の地点。大崩れしたり、後半勝負のランナーが大勢控えていたらと思うとまだまだ油断は出来ない。棚田を経て、再び比叡山境内の横川に向かう。この辺りは直射日光を遮るものが無く体力が奪われる。横川へ向かうトレイルの登り
では、もはやほとんど走れない。比叡山境内に入っても石段を登らされる。中央の手すりがないと登れないくらいの疲労度。途中に登りに疲れたら座ってくださいとばかりにベンチがある。座って休みたいと思っても休めないのがツラい。時間をかけ、何とか登りきり、横川の駐車場の第4エイドへ到達。ここまで、不思議なことに10分遅れスタートの50キロランナーに抜かれる事は無かった。50キロのランナーはスピード勝負だから、何人かに早い段階で抜かれるのかなと思っていたが、45キロ地点でトップ選手に追いつかれた。今年の50キロはそこまでレベルが高くないのかなと思いながら、エイドでオレンジを食べる。ここでトイレに行っていた日本人の彼がいた。彼は先に行ってしまったが、すぐ追いかける事に。下り区間3キロを経て最後の激坂2キロ。下りでももはや、追いつく事は出来ない。しかし、下りのペースはそんなに遅くはない水準である。
そして最後の激坂2キロへ。ここからが苦悶だった。当たり前のように、歩いてしか登れないのだが、歩いて登るのもツラい状態になってしまう。この日1番のヘトヘトである。50キロの2位ランナーも迫ってきた。ヘトヘト過ぎて、何も考えられない状態である。ここまで体力が喪失してしまうのは、その時は何も考えられなかった。とにかくリタイアしたい、もう一周30キロなんて走れる訳がない、50キロで辞めよう、良い順位なんか意味がない、とにかく辞めよう。心がバキバキに折られた。50キロの2位ランナーに当然追い抜かれる。登るスピードが違い過ぎる。とにかくリタイアする事しか考えていなかった自分に、その時そのランナーはラストの登りであるため、息も絶え絶え、「頑張って下さい!!絶対頑張って下さい!!」と声をかけてくれて、(絶対辞めないと約束ですよ!)と聞こえた気がする。このランナーはラストスパートのため、出し切っている最中に、全力で応援してくれる。凄い励まされている、本当に感謝しないと。と思いながらも、身体と心はもう限界。ボロボロの状態で延暦寺会館のエイドに到達。もう辞めようと思っていたため、水分補給はせず、食べ物だけ食べ、そして根本中堂でリタイアを申告することに。このエイドで再びジョーがいた。英語でアーユーオーケー?と肩を叩き、声をかけてくれた。しかし、ノーとしか言えなかった。そして、先にジョーは50キロを通過し、後半のもう一周へ挑んでいく。自分はリタイアするし、やはりこのレベルで争うのは無理があったとトボトボ歩き、リタイアを申告しようとした。ここまでで、6時間17分。50キロならば、大幅なタイム短縮で、自分の成長も十分感じて、もう満足である。
50キロ、50mileのゴール地点であるため、1番人が多い根本中堂。リタイア申告、リタイア…と。声を掛けれる雰囲気が一切ない。何十人がこちらを見て、応援してくれる、「頑張れー、あと一周!」一般の人、ボランティアスタッフ、選手の応援、既にリタイアしたであろうランナー…全員がこっちを見て声を掛けてくれている、リタイア出来る雰囲気は一切無かった。歩きながら、後半のコースへ。この応援が終わったところで、少し進んで折り返してきてリタイアしよう。そう思った。その時、1人のボランティアスタッフの女性が「3位のジョーに追いつくところにいてるんやから、凄い事やから、何を諦めようとしてるの!!」と本気の剣幕で怒られる。いや、分かってはいるけど…と。折り返して戻る事もしにくくなった。とりあえず、次のせりあい地蔵の給水所まで行ってリタイアするしかないかと。せりあい地蔵までゆっくりとでもいくためにここでジェルを二つ一気に食べてみた。心は折れていて、少しの登りも嫌な状態。頭の中でリタイア、リタイアとしか考えられていない。平地ではまだ辛うじて走れたため、何とかせりあい地蔵の給水所に到達。ここは50キロランナーが横高山を登ってきた合流点でもあるため、一気にランナーが増えた。給水所も人で溢れかえっている。50キロランナーは続々とやってくるが、50mileランナーはまだ4人目であるから、50mileランナーきました!と注目を浴びる存在に。ここでも途切れない声援。もう辞められるポイントがないのか….、ここから先はリタイアがとても不便になる。ここで腹をくくる。もう進み続けるしかない。そのためここで、出来るだけの準備をしようと、お腹いっぱいになるくらいお菓子等を食べる。また水分補強をしようと思ったが、肝心の水が無い。どうやら切れてしまったようだ。ここにあった水分はコーラのみ。しょうがないので、コーラをハイドレーションに入れ、横高山・水井山の登り2回目を進む。50キロのランナーはどんどん抜いていける。水井山を登り切ったところで気づく。体力が回復している事に。どうやら、空腹でエネルギー切れをしていた事が、ヘトヘトになった一因であると気づく。そこからは、不思議なくらい快適に走れる。50キロランナーは抜くたびに道を譲ってくれ、抜き際に頑張って下さいと声を掛けてくれる。とてもありがたい。そのまま距離を重ね、残り距離が減っていく。残り21キロの地点で、21キロでゴールでいいのかと発想までポジティブになれていた。そして快調に進んでいくと前に、ジョーがいて、ついに追いついた。ジョーもビックリしたに違いない。死にかけのランナーが追いついてきたのだから。しかし、ジョーは驚きを顔に出さず、アーユーオッケー?と再び聞いてくれた。今度はオッケーと言葉を返す。そのままジョーと並走する。2回目の滝寺給水所に到達し、ジョーと話し込む。元気になったみたいだなと聞かれ、拙い英語でI want to retire,but recoverlyと。そして、日本人スタッフから差し出されたオレンジをthank you!と何故か英語で御礼を言った。
ジョーと再び走り出し、名前を聞かれ、nagisaと答え、I'm joeと。(知ってるよと。)今日は暑かったが、今は涼しくなったな、これはとても難しいレースだなと言っていたように聞き取った。しかし、yes.yesとくらいしか返答出来ない。トレイルランでも英語は必要何だなと。そんなジョーと、地獄の仰木ロード区間へ。ここで激戦が繰り広げられた。少しリードしたかと思えば、大股ですぐ追いついてくるジョー。先行されてもくらいつくnagisa。激戦繰り広げられた状態で仰木エイドへ同時に到達。ここで水分補強をしようとしたら、ハイドレーションが開かないトラブル。スタッフの人に力づくでしてもらっても開かない。ハイドレーションを諦め、500mlのフラスクに水分を入れざるを得なくなった。そのタイムロスの間にジョーは行ってしまった。追いかけようとするも全くジョーの姿は見えず。棚田へ再び到達し、最後の横川へ。ここまで一周目よりも楽に走れている。そしてここからも一周目よりも楽だった。横川の登りもクリアし、最後の最後2回目の横川駐車場のエイドに到着。ここまで来たらゴールは間違いない実感を得る。しかし、ジョーは3分前に出発したらしい。あと3キロの下りと2キロの激坂で、長かった50mileレースも終了である。色々あったが、本当にリタイアしなくて良かった。心からそう思う。時刻は18時30分ころであるが、まだまだ明るい。ライトも点けずに最後まで辿り着けた。最後の激坂を一周目より圧倒的に速く登り、栄光の根本中堂ゴールへ。再び帰って来れた。一周目の時の絶望感と真逆の二週目の今の達成感。多くのボランティアスタッフとハイタッチを交わし、ゴール前でカメラを構える職場の先輩とハイタッチを交わし、ゴール。本当に良かった。4位で自分の力を示してゴールできた以上に、あの時諦めないで本当に良かった、いろんな人に励まし続けてもらえて、本当に感謝しないといけない。50mile完走は、実力もさる事ながら、自分だけでは絶対達成出来なかった。ゴール後、鏑木さんとレースを振り返るインタビューをしていただいた。50キロ地点ではフラフラだったねと覚えてくれていたのも嬉しかったが、今回の経験は自分の人生で間違いなく糧になると言っていただき、比叡山マイラーとして認定いただいた。「比叡山マイラー」こんな嬉しい称号はない。サブスリーランナーの称号を得た時も嬉しかったが、それ以上苦戦して得た称号であるため、鏑木さんからのメッセージが裏面に記入された比叡山マイラー認定証は本当に大切にしたい。
レース後日リザルトを見ていると50mileは77人のスタートの内、15人のみ完走とあった。完走率は20パーセントを切っている。後日知り合いになった方は、二回連続で制限時間に阻まれた訳であるが、1年間ここに力を注ぎ込んでおられるようである。やってみて分かったが、それくらいの価値がある大会であり、制限時間ギリギリにライトを点けながら帰ってくる比叡山マイラーはとてもかっこ良く、感動的だった。こんな素敵なレースが大津であるなんて、知っているのと知らないのでは大きな違いであり、挑む事の素晴らしさ、諦めない事の大事さ、日々の地味な積み重ねの重要さを感じる事が出来た。皆さんも一緒に来年挑みませんか?