
生きる
海を見ていた。
良くは見えないが、海のずっと向こうにはこことは別の土地があるようだ。
毎日船が、あっち側からやってくるからだ。
俺は3人の知り合いが船から降りてこないだろうかと、いつも船が到着する頃、ここにやってくる。
待ちくたびれると、冬でも生い茂っている草の上に寝そべる。
周囲の人間たちが集まってきたら、船が到着する時間だと言うことは、長年の経験から知っている。
気づいたら、俺はこの島にいた。
母親はまもなく亡くなり、父親は数匹いたうちの一匹だろうがそれは
俺の知ったこっちゃない。
きょうだいも他に3匹いたような気がするが、それぞれどこかに行ってしまった。
あの船に乗って。
俺の家はない。
名前もない。
だが、いつでも気のいい親父の家の倉庫を寝ぐらにしているし、誰かが気まぐれに俺に食べ物をくれる。
猫もその辺にいるが、俺たちは干渉はし合わない。
好きな食べ物も違うし、あいつらは仲間同士程よい距離感で生活しているようだが、俺は気づいたら1人だったし、今でも「一匹犬」だ。
船が到着し、次々に客が降りてきた。
俺にはわかる。
あのお母さんの匂いがする。俺は吠えた。吠え続けた。
まだ姿は見えないが、俺にはわかる。
いつも料理したものの残りや、パン、お菓子をくれるお母さんだ。
だから俺は存在をアピールするために、精一杯吠えた。
知らない奴らは驚いて俺を見ているが、俺の目当てはあのお母さんだけだ。
俺の命綱の1人だ。
やっとお母さんが降りてきた。
坂道を登るのを手伝ってやりたいが、腹が減っている。
なんか食うものはないのか、と俺は催促する。
「何もないよー。持ってないから。なによーそんなに吠えんでもいいわ」と言うが、家までついていけば、必ず何かをくれる。
家に着くと、俺は勝手口の扉の前で吠えながら待つ。
食い物をもらうまでは絶対にやめない。
あきらめたお母さんは、俺に野菜と肉の炒めたものを、カップラーメンの空きカップに入れてくれた。もう一つの空きカップには水までくれた。
吠えた甲斐があった。
ガツガツと食ってしまうと、もよおしたので草むらで排出した。
なんか尻のあたりにくっついていて、モゾモゾするがしょうがない。
そのうち綺麗になるだろう。
腹がいっぱいになると眠くなってきた。
ちょっと下まで降りて、昔小中学校があった原っぱで寝そべっていたら、
いつのまにかうとうとし始めた。
時々、ガラガラっとドアが開いて、島唯一の食堂に人が出入りをする。
あそこは立ち入ったらおばさんにひどく怒られるから行かないが、人の動きはいつも見ている。人が動き出せば船がやってくるからだ。
島には老人ばかりが住んでいる。俺も老犬だが、ここの人間よりは若い。
だんだん目が見えづらくなっているが、鼻があるからまだ何でもわかる。
俺は生まれてからこの島を出たことはないが、島に来る人たちを見て驚くことがある。
神々の島と言われてるから、俺は野良犬でも人に追いかけられたり、殴られたりはしない。
俺を殴るとバチが当たるとでも思ってるのだろう。
だが、他の人間とは違う言葉を喋る奴らも増えたし、どっかお母さんたちとは違う服を着とる。
島人の数は増えんが、船から降りてくる人数は増えとる。
それでも俺は人間に媚びて生きるのだけは真っ平だから、いつも食い物をくれる、お母さんとおじさんと、おじいちゃんだけに吠える。
他の知らん奴には見向きもせん。もちろん人を噛んだりなんてしたことはない。
毎日この静かな島で、食べて眠れたらそれでいい。
食堂から、1人また1人と人が出てきた。
2時間に一本の船が来るのか。おじいちゃんは降りてこんかな。
俺は起き上がり、サッサと船着場に向かって小走りをする。
海の向こうから船がやってきているのがわかる。音が聞こえるから。
待合所で待ってる知らんおばさんが、何か食べてたから俺にもくれんかなと思って足元を通ってやったが、急いで隠しやがった。俺は知らん顔で、通り過ぎた。
別にお前に食い物をねだるほど、俺は落ちぶれてない。
くれるならもらってやってもいいが、くれんならそれでいい。
俺にはじいちゃんがおる。
船着場にある、木製の寄付箱近くに俺は立つ。
必ず人はここに立ち寄るからだ。
船が着いたが、匂いがせん。
じっと待つ。じっとじっと待つ。
匂いは、せん。
じいちゃんはおらんのか。
最後の1人が降りる頃、島を離れる人間が船に乗り始めた。
ああ、じいちゃんは乗ってなかった。今日はこれで終わりだ。
また腹が減ってきたが、お母さんのとこで吠えれば、もう一回くらいは食べさせてくれるだろう。
今日は雨が降りそうだから、おじさんの家の倉庫の奥にある毛布の中で眠るとしよう。
家族がおらんでも、家がなくても、俺は誰にも媚びずに生きとる。
天気と、食い物のことだけ考えていればいい。
3人の食い物をくれる人がいればいい。
そういえば以前は、もうちょっと多い人が食い物をくれてたんだが、
一体どこに行ってしまったんだろう。
了
https://note.com/kaoru_hanasawa/n/n6448e1f3b80a%0A%0A
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