
アラカン女たった一人の海外移住・準備編5「結局これからの人生でたった一つのやりたいことにたどり着く」
Nagiです。
現在アラカンで海外移住を検討しており、海外移住の準備や、考えていることをお伝えしています。
すっかりご無沙汰をしておりました。
前回の記事が12月23日付となっていますので、ほぼ2週間ぶりでしょうか。
改めまして、あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
実は、note別アカウントでは毎日、お正月も休まずエッセイを書き続けています。
どこにいても朝起き抜けにこのエッセイを書いてから、朝ごはんの準備をするのが日課です。
決してサボりません。サボりたくないです。書きたいのです。
そして、エッセイを書き終えると1日の重要な仕事が終わった気がします。
いや、なんの話をしているかというと、「結局私がこれからの人生でたった一つのやりたいことは、書くことだ」と改めて確信した、というお話の序章です。
少々長いお話になるかもしれませんが、もしお時間がある方はご覧いただけると嬉しいです。
そもそも移住を考え始めたのは、なんとなく、と、日本に対する危機感でした。
なんとなく、というのも、周囲に海外移住をしている人たちがいて、話を聞いているうちに、
「日本に生まれたからと言って、日本に住まないといけないということはないんだ」という、当たり前だけど、ちょっとばかり発想の転換が必要なことに気づいたのです。
もちろん移住した人たちには、それぞれ理由があり、そのために移住をしたのだということはよくわかっていました。
さらに、海外旅行が好きで、海外滞在中に撮った写真は、日本にいる私よりもずっと楽しそうで、ずっと若く見える(家族がいいます)らしいです。
確かに海外にいると、疲れも忘れて動き回っているか、プールサイドでお昼寝しているので、海外の方が自分に合っているのかもしれない、英語を話す環境が好きだ、という理由もありました。
さらに、日本がだいぶんおかしなことになっているのではないか、といろんな角度から情報を得るたびに思うようになり、「じゃあ、早いうちに移住しておこうか」という、軽い気持ちから始まりました。
しかし、私の移住準備についての記事、1から4までをご覧いただいても分かるとおり、いや、私がただ単に難しく考えすぎているのかもしれませんが、なかなか決断ができず、ようやく前回の記事で「まず現地に行ってみて決めます」と書きました。
その後2週間が経過し、日常生活の変化といえば、超短編も含めて、4作の小説を公募に出したこと、お正月らしいお正月を過ごしたこと、(おせちを作り、しめ飾りを飾り、お鏡餅の代わりにお花のお鏡アレンジを購入し、年末には氏神様にお礼参りに行き、お墓参りをして、作ったおせちを少し実家の母にお裾分けをし、自家製の干し椎茸と鶏肉、ぶりの出汁で作った年越しそばを食べ、年明けにはお屠蘇をいただき、作ったおせち料理を食べ、3日には残ったおせちを材料に、茶碗蒸しと五目ずしを作る、という、子供の頃に経験したお正月を完璧に再現しました。
ああ、やっぱりお正月は日本がいい、と改めて思いました。
おせちも、好きなものばかりのおせちですが、これを食べないと年が明けた気がしないのです。
たとえどこかに移住をしていても、年末近くになったら絶対に日本に帰国しようと思ったくらいです。
さらに年明け早々、家族と一緒に台湾に行ってきました。
わずか二泊三日の旅でしたが、いろんな意味で衝撃を受け、感動し、大好きな街になりました。
何が良いって、まず気候。
私たちが滞在していた時は、20度くらいの気温で、ちょうど秋くらいの長袖一枚で過ごせる気候。日本から着ていったダウンは、ホテルのクローゼットに入れたまま、Tシャツにデニムシャツ一枚で十分でした。夜になっても、寒いとは思いませんでした。
この温暖な気候は、私の体調をすこぶる良くしてくれます。
毎日15,000歩ほど歩いているのに、全く疲れ知らず。いくらでも、どれだけでも歩けそうな気がしていました。そう、寒いのが本当に苦手で、寒い時期はなんだか調子が悪いのです。
だから、移住する先は温暖、または暑い街一択と決めています。
さらに、台湾は、漢字、英語、日本語の三つがミックスされた独特のカルチャーを作り出していることに感動しました。
「誠品書店」という、日本でいえば蔦屋書店のような書店には、中国語の本はもちろん、日本語の本、日本について紹介された本、日本の作家、詩人についての本が至る所においてあり、「草間彌生展」のポスターも貼られています。
さらに、英語のペーパーバックのコーナーがあり、そこには日本ではお目にかかれないであろう、とても美しい、かっこいい、可愛い表紙の本が並びます。
思わず手にとって読んでみては次の本、と繰り返していたとき、一冊の本に吸い込まれました。
難しくない英語で書かれていたというのもありますが、小説を書いている身としては、英語の小説がどのように書かれ、どのように表現されているのかに俄然興味が湧いたのです。
あの村上春樹先生も、翻訳をされ、ご自身の本をアメリカに売り込みに行かれたことも知っています。言葉は違っても、いや、言葉が違うからこそ、その小説を読むことは絶対に勉強になるはずだ、と今更ながら、台湾、台北の書店で気づいたのです。
さらに、その本を買うためにレジに向かうと、長蛇の列。
多くの若い人たちが片手に英語のペーパーバックを持っているのです!
この光景は、決して今の日本では見られない。若い人が本を片手に行列を作る。それも英語の本を、となるとまず見れない光景を目にして、驚き、感動しました。
そこで気づいたのです。
私のこれからの人生でやりたいことは、小説を書くこと。エッセイを書くこと。
これに専念できる場所を探しているのだ、と。
それが海外移住がベストなのか、わからなくなってきたのです。
やはり歴史がある国には文化があります。日本も2000年の歴史を持ち、地方にも減ったとは言え、書店が必ずあります。そこで本を買う人たちがいるからこそ、書店は残っているのです。もちろんこれからはどんどん書店が減っていくだろうことは想像に難くないですが、それでも街には図書館もあるし、本を手軽に読める環境が整っているのです。
これからの人生、あとどのくらいなのかはわかりませんが、だからこそ私はこれからの人生、書くことだけに専念したい。もちろん旅には出ますが、それは何か書くことへのヒントになるかもしれないし、凝り固まってしまうかもしれない頭に刺激を与えるためかもしれない。心から楽しみ、心からリフレッシュするためかもしれない。そうして旅先でも私は書き続けると思うのです。
実際この台湾旅の記事はすでに書き上げていて、今日ひとつ目をアップしました。
こちらにもアップしていきたいと思いますが、全ては書くために存在し、生活し、生きていこうと思っていることがわかりました。
これはもう、ブレることはありません。
では、その「書くための環境」とは一体どこなのだろう、と考え始めました。
喫緊の問題としては、2月の寒さ(一月でもすでにかなり寒いのですが)からどこに逃げようか、と、ホテルと航空券を探しています。
候補がある程度絞られてきました。そもそも移住のために行こうとしていたタイのある都市は、いろんな情報が入ってきて、だんだんと興味が薄れてきています。
バンコクにはもう一度、知り合いの人たちもいるので行ってみようか、と思っていますが、
悩む時、決まらないときは、一旦放り投げる、と決めているので、まずは2月の避寒地を決めて準備をしようと思っています。
ずいぶん長い文章となりましたが、果たして私は移住するのでしょうか。
自分でもわからなくなってきました。
完璧な国は、どこにもない。
それは今まであらゆる都市に行ってわかっているので、あとは流れに任せてみようと今は思っています。
海外移住をすることを期待していた方には、申し訳ありません。こんな中途半端で。
でも、海外移住が完全に消えた訳ではありません。
焦らず、決まる時には決まると思って、日々の生活を大事にしたいと思います。
さて次回はどんなご報告になるのやら。私にも全くわからなくなってきました。