見出し画像

「さすらい」の意味を自分で考えてみた

最近、奥田民生の歌が好きで、よく聞いている。



これまで全然聞いてこなかったけど、こんなにドストライクな歌があったんだなと感動している。



自分が知らないだけで、自分が好きな歌やアーティストや本が、この世界にはまだまだたくさんあるんだろうなと思う。



奥田民生の歌で「さすらい」という曲がある。奥田民生にあんまり詳しくない人でも、1回は聞いたことある曲なんじゃないかな。テレビ番組でもよく流れている。



一応、リンク貼っとくので、よければ聞いてみてください。



「さすらい」という言葉を初めて聞いて、意味もよく分からない。「さすらい」ってどういう意味?ってなった。



ネットで「さすらい 意味」と検索すれば一発でわかるのだろうけど、ここはあえて自分で意味を考えてみようと思った。その方が面白い。




歌詞を見ながら「さすらい」を聞いてみた。



まあ、これは私なりの見解ですが、、、



「さすらい」とは、自由・ありのままに・流れに身をまかせてといった意味があるんじゃないかなと思った。



ここで、歌詞を載せておく。


さすらおう この世界中を
ころがり続けてうたうよ 旅路の歌を

まわりはさすらわぬ人ばっか 少し気になった
風の先の終わりを見ていたらこうなった
雲の形を まにうけてしまった

さすらいの 道の途中で
会いたくなったらうたうよ 昔の歌を

人影見あたらぬ 終列車 一人飛び乗った
海の波の続きを見ていたらこうなった
胸のすきまに 入り込まれてしまった
誰のための 道しるべなんだった
それを もしも 無視したらどうなった

さすらいもしないで このまま死なねえぞ
さすらおう

さすらい/奥田民生




自分なりにさすらいに意味をつけて、訳してみたのがこちら↓


さすらおう この世界中を
(自由に生きよう この世界を)
ころがり続けてうたうよ 旅路の歌を


まわりはさすらわぬ人ばっか 少し気になった
(自由に生きてなくて、レールに載った生き方をしている人ばかり)
風の先の終わりを見ていたらこうなった
雲の形を まにうけてしまった


さすらいの 道の途中で
(自由な旅をしている道の途中で)
会いたくなったらうたうよ 昔の歌を
(ひとりで旅をしているから寂しくなったら、会いたくなった人との思い出の歌を歌うよ)


人影見あたらぬ 終列車 一人飛び乗った
海の波の続きを見ていたらこうなった
胸のすきまに 入り込まれてしまった
誰のための 道しるべなんだった
(自分のために生きよう)
それを もしも 無視したらどうなった
(誰かのための道しるべ=敷かれたレールに乗った生き方を無視したらどうなった)


さすらいもしないで このまま死なねえぞ
(自分のやりたいことをやらずに死ぬのは嫌だ!)
さすらおう
(やりたいことやって自由に生きようぜ!)





「さすらい」は自由に生きることを歌った歌なんだと思った。



きっとこの歌で描かれている主人公は、まわりが敷かれたレールに乗って生きていることも、自分自身がレールに敷かれた人生を生きることにも息苦しさを感じて、ひとり旅に出た。風の先の終わりまで行ってみたり、最終列車に飛び乗ってみたり、波の続きをぼーっと眺めたり。自分がやりたいことに身を任せた自由な旅。


その旅の中で思う。自分がやりたいように生きたいなあ。自由に生きたい。




「さすらう」の意味を私なりに考えてみたけど、意味も言葉も誰かが作ったものを、私たちは使っているだけ。だから、別に自分がこれはこういう意味って思って、それを周りに言葉と意味を伝えて、それを周りが理解してくれて、その言葉が伝わるのならそれは言葉として成立するものなんじゃないかと思う。言葉や意味ももっと自由なのかもしれないな。


最後まで読んでいただきありがとうございます!いつか書くを仕事にできたらいいなと思っています。応援いただけるとすごく嬉しいです✌️