自信のない人を不安にさせるのは自信のない人
自分に自信が持てない人は自然な生き方ができない
もうひとつ注意すべきことは、
自分を何となく落ち着かない気持にさせる人というのも自信のない人であるということである。
その人自身の心の葛藤がこちらの心の葛藤と共鳴しているのである。
相手も自信がないから自分をよく印象づけようと焦っている。
そして自分を高く売りつけようと焦るその行動自身が、
こちらを傷つける結果をもたらす。
こちらも自分を守ろうとしているが相手も自分を守ろうとしているのである。
そのお互いの自己防衛的な行動が結果としてお互いに相手を傷つけてしまう。
お互いに心の底で嫌いでありながら、離れられないでいるなどという人達もいる。
自然の感情に従って生きることを小さい頃から禁じられてきた人は、
意識的努力によって自分の感情をつくろうとする。
自然の感情の動きとして、その人をそんなに好きでない。
いや嫌いである。
しかし好きであると感じようと努力するのである。
そして好きな筈だと思い込もうとする。
そういう人はあまりにも自分の感情を意識的につくりすぎてしまっている。
小さい頃から自分の感情を意識的につくりすぎて生きてくると、
自然な感情が失われてしまう。
正確には無意識下に抑圧されてしまう。
小さい頃からこういう人を好きになりなさい、
こういう人を軽蔑しなさいと教えられてくると、
いつの間にか、心の底では好きでない人を好きと思い込み、
心の底では求めている人を軽蔑したりする。
何となくその人といると焦るというような人は、
どちらかというと「好きになりなさい」と言われてきたタイプなのである。
人といると何となく落ち着かなかったり、
何となく焦ってしまうという人は、
そして子供の感情を、
自分の都合いいように操作しようという心の葛藤のある親が気にいる人というのは、たいてい自信のない人達である。
従って子供は自信のない虚勢を張るタイプの人を好きになる。
好きになるというのも自然の感情で好きになるわけではない。
心の葛藤のある親の推せんするような人であるから、
その人も当然心理的にいろいろの問題をかかえている。
単純に言えば、自分の自然な感情を見失いがちな人は、
心理的に問題をかかえている人を好きになる、
あるいは好きだと思い込みがちなのである。
それはさきに書いたように、
一緒にいると何となく落ち着かない人というのは自信のない人であるということでもある。
自信のない人を不安にさせるのは自信のない人なのである。
心に葛藤のある人は同じく心に葛藤のある人といると落ち着かない。
それはお互いに今に満足していないということが分かるからではなかろうか。
そしてお互いに相手の今を満足させることによって、
自分の存在価値を確信しようとしているからではなかろうか。
お互いに相手が落ち着かないから自分も落ち着かなくなってしまうのである。
心に葛藤のある人は容易に相手の心理状態に影響される。
自分の中に安定した世界があれば、
そう簡単に相手の心理状態に影響されるということもない筈である。
心に葛藤のある人というのは幼児性を残している。
いや幼児性を残しているから葛藤が生じるのであろう。
小さな子供は一緒にいる母親の心理状態に容易に影響を受ける。
母親が心理的に安定していれば小さな子供も心理的に落ち着いている。
母親が心理的に不安定だと心理的に落ち着かなくなってぐずり出す。
そして満足している子供ほど母親の心理状態の影響を受ける度合が少ない。
このように考えてくると、
心理的に問題をかかえた二人の大人が一緒にいる時の落ち着かなさは容易に理解できるであろう。
自信のない人というのは相手の自信のなさに耐えられないのである。
実存的に欲求不満な人は相手の欲求不満に耐えられない。
自分の存在の無意味感に悩まされている人は相手の感じている無意味感に耐えられない。
相手の不満は決して自分の責任ではない。
相手が心理的に不満になっているのは自分が悪いからではない。
ところが自信のない人は、心身ともに欲求不満な人を眼の前にすると、
自分の責任であるかの如き感じ方をしてしまうのである。
自分とは全く関係のないところでおきている問題なのに、
あたかも自分に責任があるかの如く感じてしまう。
それもおそらく小さい頃から「お前のために…………」
「あなたのために……………」と親の不機嫌の不当な責任を負わされてきたからであろう。
親は自分の生まれる前から不機嫌だった。
親が不機嫌なのは親の情緒未成熟が原因であって、
自分という存在が原因ではない。
それなのにあたかも自分という存在が原因であるかの如く親は自分を責めた。
それだけに他人の感情に責任を感じるというおかしな感じ方が自分の中にできてしまった。
それだけに大人になっても相手が満足していないと、
それを自分の責任と感じてしまう。
相手を満足させる責任は自分にあると間違って感じてしまう。
そして焦る。
なんとなく落ち着かなく大切なことはこの習慣化してしまった自分の間違った感じ方を変えることである。
もし間違って相手が自分の責任を追求するなら、
自分も同じく間違って相手の責任を追求することができる筈なのである。
相手が要求するなら自分だって要求してもよい。
小さい頃に確立してしまった人間関係におけ自分のスタンスを変えることである。
相手が自分の内の世界をのぞき込むという失礼をするならば、
自分も相手の内の世界をのぞき込むという失礼をしたっていい。
相手が満足していないと、それを自分の責任と感じてしまう。
大切なことはこの習慣化してしまった間違った感じ方を変えることである。
今日は、どうやったら自信が取り戻せるの?
という事を書いてます!
自分が分からなくなってしまった人というのは、
↓の部分を幼い頃からやってきてしまっているので、
自分では、自覚がもうすでに無いのです(汗)
自覚なく、
ナチュラルに自分の感情を作ってしまっているので、
いつも感じている自分の感情が、
本当の自分の感情では無いという事に気づけないのです。
自分の本当の感情を感じられる様にしなければ、
自信なんて出てくる訳が無いという事
という事は、
自分の本当の感情を感じられる様にしていけば、
心理的に抱えている問題も解決していくという事なのです
一石二鳥だね!
心理的な問題を解決するという事は、
抑圧に気づく事、
思い込みに気づく事、
認知の歪みがある訳だから、何が心理的に良い状態なのかを知っていく事、
心理的に悪影響な事はやらない事、
簡単に言えば、これらの事をやっていくという事になります
とても地味な事ですが、これらをやっていくと、
習慣化してしまった自分の間違った感じ方を変えていけます。
地味だし、何かめんどくさそうだから、皆んなやらないだけなのです。
私も、死別で全てを失わなければ、やらなかったと思うので、気持ちは分かります。
もっと手っ取り早くて楽で簡単な方法を皆んな、求めてるもんね。
でもね、それは無いんだよー!!
自分の間違った感じ方を変えたその先に、
自分に対して「自信」を感じられる様になるのです。
というよりも、自分というものに対してそれだけ真剣に向き合って取り組んであげるからこそ、自分というものを誰よりも理解していく訳です。
理解したものに対しては、自信が出て来て当たり前でしょ??
当たり前の理屈なの、これって。
愛されて育った人は、
親が理解してくれたから、自分の事を理解出来ている訳です。
自分の事を理解できているから、
自分に対して揺るぎない自信を感じられているのです。
つまりは毒親育ちも、このプロセスを踏めば良いのです。
複雑に考えないで、単純に考える事が重要です
但し、同じプロセスを踏めばいいと言っても、
何が何だか分からないのに、最初からいきなりは無理なので、
コツが掴めるまでは、フィーリングが合うカウンセラーさんの様な、
人間心理をしっかりと理解できている人と一緒にやっていくと良いと思います。
相手さえ間違わなければ、いい結果が得られると思います。
でも、カウンセラー選びが死ぬほど難しくもあるので、
この問題については、いつか書ければと思います。
自分に合ったカウンセラーを選ぶ事って、何よりも難しいのよね。
だって、それが分からないから、皆んな彷徨うのだから。
合わない人の所に行ちゃって、
傷ついたり、自己嫌悪に陥ったりしてるでしょ。
分かるわー
深いわ、マジで深くて根深い問題だわな
まとめると、
自分に自信を取り戻すというのは、
自分の自然な感情を感じられる様にする事が何よりも重要だという事です。
それはつまり、習慣化してしまっている間違った感じ方を変える、という事
その為に、
抑圧に気づく事、
思い込みに気づく事、
認知の歪みがある訳だから、何が心理的に良い状態なのかを知っていく事、
心理的に悪い事はやらない。
これらの事をやるんだよ!という事ですね。
加藤先生の本って、ちゃんと理解出来れば、
幸せになるための全ての答えが書いてあるのです
自分に気づく心理学って、救いの書よね。
だって、自分を理解すれば、同時に救われちゃうんだから(笑)
一石百億鳥なのだよ!!