今の私は、この人生ゲームの「プレイヤー」か、はたまた「駒」なのか。
2024年がスタートしてから、あっという間に1ヶ月。
災害や不安定な社会情勢など、落ちつかない年明けとなりましたが、
そんな現実の真っ只中で、そこはかとない不安を抱えている方も少なくないかも知れません。
このような大きな規模で起こっている変化の中にあると、正直自分の存在には無力感ばかりを覚えます。ついつい「何もできない」という感覚を抱きがちで。
でも、そんなときにこそ、私が繰り返し自分に問いかけている言葉があります。それが
とにかく「駒」になりたい人間という生き物。
突然ですが、こんなこと、考えたことありますか??
人ぞれぞれ色々な考え方・捉え方があると思いますが、
この世に生を受けるとき、今回「わたしはこの人生ゲームをプレイしてみたい!」と自ら選んで今の自分をプレイしている(遊んでいる)んじゃないかと、最近感じていて。
例えば、今の私の場合。まさにこの文字をタイピングしている、物質的な身体と心を持った存在が「自分」だと認識しているけれど、実はそれが本当は「アバター」で、
そして、それを使ってプレイしているのはこのアバターを最初に選び、設定している、”わたし”(本体)という存在なんじゃないかってこと。
ただ、このゲームがとにかく面白くって、没頭するがあまりに、
プレイヤーの”わたし”であることをすっかりと忘れてしまっていて、
いつの間にか渦中のアバター、つまりは人生ゲームの「駒」に完全になりきってる。
もはや一流の主演俳優かのごとく、パーフェクトな役の演じよう。もう拍手しかないよね。ブラボー!笑
でもね、きっとこの夢中になってのめり込むのも、プレイヤーの”わたし”にとっては、全部織り込み済みなんです。だって、ストーリーは波瀾万丈なほどスリルもあって、感情移入できるほど面白いでしょ??
だからある意味、そもそもこの「駒」になりがちな性質って、人間にデフォルト設定された傾向なんだと思います。
駒となった「私」の冒険のはじまり。
一度そういう目線で改めて、この身体と心を「私」だと思っている「私」が、ほんとうに”わたし”なのか??
…とちょっと眺めてみてください、騙されたと思って…。
うん、混乱しますよね…。
ん、あれ、そうじゃないとしたら、プレイヤーの”わたし”は、一体どこにいるの??どこ行っちゃったの??
そう、そう感じたあなたはただ今絶賛迷子中です。なかなかのめり込みましたね。笑
そういう私も、少し前までは完全なる迷子でした。。迷子であることにも全く気付かずに、どっぷり没入していましたね。それはそれで、今振り返るとなかなか味わい深いドラマでしたけど。
きっとこの記事を読んでくださっている方は、恐らく文字がすらすらと読める程度には少なくとも年を重ねているはずなので、いい感じに迷子歴も長いはず。結構深いところまで迷い込んでます。
「迷子」と聞くと、急に不安な気持ちが湧き上がってくるかも知れません。
でもそれは、プレイヤーである”わたし”と再会するための、冒険の旅のはじまりの合図です。
そこにどんな”わたし”が待っているのか、再会を果たしたその時に、どんな声を掛けてくれるのか、その先にはどんな世界が広がっているのか…そう考えると、ちょっとワクワクしてきませんか??
この迷子な状態から、いつからかはぐれてしまったプレイヤーの”わたし”との感動の再会を果たすまでというのがまた、なかなか険しくも楽しい道のりなんです。(きっと。そのはず。)
「プレイヤー」探しのための準備をしよう。
もし少しでもワクワクを感じられたら、長い道のりになるであろうこの大冒険をはじめるにあたって、事前準備を少ししておきましょう。
今まで「これが自分(の全て)!」と当たり前に何の疑いもなく認識していたこの肉体や感情が、実はそれのほんの一部でしかなかった、仮にそうだと仮定してみてください。
それをイメージしてみた時、どんな感覚や感情をあなたの身体や心は感じていますか??
今この視覚を通して目に見えているもの、そのほかの感覚器官を通してありありと感覚として感じられているもの、それはまぎれも無い確かな現実です。
でも、この瞬間現実に現れている現象のどれだけを感覚できているか、キャッチできているのか。そう考えてみると急に「現実」というものが、捉えどころの無い曖昧なものに感じられてくるかも知れません。
きっとそのぼんやりとした曖昧さの感覚こそが、まずは最初の一歩になると思うのです。
そこは、濃い霧が立ち込めた、薄暗い深い深い森の中でぽつりと1人でいるような、少し心細さをも感じるような場所かも知れない。
でもそれは紛れもなく、今まではあてもなく彷徨っていた迷子の状態から、確かな目的地を見出した瞬間です。「迷子モード」から「大冒険モード」にスイッチが切り替わったサインです。
まだ正体はつかめずとも、少し「現実」という境界線が拡大した、そんな感覚を大切にしてみてください。
日常の生活を送っていく中では、きっとすぐ「迷子モード」に戻ってしまうと思います。
大丈夫です。それでいいんです。
そのことに気付いたら、また「大冒険モード」のことを思い出してください。一瞬でもかまいません。
気付いたら思い出す、気付いたら思い出して、戻る。ただただそれを繰り返して行くだけで、少しずつ両方のモードがあることが自分の中で当たり前になっていきます。
結局、どちらも望んでやっているってこと。
意外と難しいのが、望んでいないにも関わらず、無意識に「迷子モード」に戻ってしまっている自分を思わずジャッジしてしまうこと。
あーまた戻ってしまった、ダメだ。出来ない。続かない。。。などなど。
これもよくあることです。私たちの脳はジャッジすることが大好きです。本当に。
でも、本来は「迷子モード」も「大冒険モード」も、「駒」も「プレイヤー」として遊ぶことも、全てプレイヤーの”わたし”が自ら望んで選択していること。
どちらもプレイヤーの”わたし”にとっては、とっても魅力的で、楽しくて、学びの多い経験であり、必要なことなんだと思います。
だから、まずは小さな子供をほほえましく眺める母親のような広く穏やかな心で、温かなまなざしで、自分のそんなゆらぎを眺めてみてはどうでしょうか。
私自身もまだまだこの冒険をはじめたばかりですが、プレイヤーの”わたし”に出会うための方法やメソッドなどを日々探求中です。
くしくも「立春」だった先日2月4日は、太陰太陽暦の新年が明ける一年の始まりでもあります。
まさにスタートにぴったりのタイミング。
これからこの旅路をみなさんと共に歩んでいけたら、とても心強いです。
ぜひご一緒しませんか。