最近書いている長い文章について

大学時代に使っていたUSBメモリが出てきた。

卒業論文の最終稿は28,821文字。卒論としては長いのだろうか、短いのだろうか。『ベトナム戦争と市民運動 —ジャテックの脱走兵援助と米軍解体運動—』というコアなタイトルから走り出す内容としては長いのかもしれない。

今まで書いたものの中でこれが一番長い文章だ。……と思ったら違った。同じUSBに保存された大学3年次に書いた論文は31,204文字だった。テーマは卒論と近い。むしろ、3年次に書いたもので半ば満足してしまった私は、その余力で卒論をやっつけたような気がする。


文章の長さは内容の良さに比例しないけれど、選んだテーマの良さもあって、私が書いたものは一定の評価を受けた。良いテーマというのは、人と被らないニッチな分野で、参考にできる文献とか生きた人が残っていて、自分自身が面白く調べられるテーマだと思う。私が取り上げたものはこれにぴたりとはまったのだ。

とはいえ文系の学部論文。その気になれば言葉尻をとらえていくらでも新しい視点を創り出すことができるものだなあ、と思った。参考資料を取り上げてまとめたレポートを長くしただけではないかという気持ちもあった。


日記は気が向いたらいつでも書いているし、noteでも文章を書いている。最近は忙しさに負けて優先順位が下がっているけれど、書くことそのものへのモチベーションは失っていない。

だから長い文章を書き始めた。
毎日書いている断片的な文章たちは「えいやっ」と仕上げてその日に捨てていく感じがして、それはそれで書くことを習慣づける練習にはなっていたのだけれど、腰を据えてじっくりと書いてみたいなあと思ったから。


1か月後に転職をするので、テーマは今の仕事のこと。何をしているのか聞かれると「お金に困っている人の相談を受ける仕事だよ~」とざっくりとした答えを返していたのだけど、辞める前の新鮮なうちにまとまった文章にしておこうと思った。

新卒で勤める仕事としてはけっこう変わった、面白い仕事をしていた。仕事内容を人にざっくりと答えていたのは私自身も「どういう仕事」という部分を明確に言語化できなかったからだ。時系列に沿って出会った人や思ったことを書き連ねていくと、自分がどうやって仕事をしてきたのか整理できる。振り返りながら書くことはその時の事実とは違うかもしれないけれど、それはしょうがない。

日記を書くと今のもやもやを吐き出してすっきりできるけれど、頭を過去に戻して書くのは少し頭がこんがらがる。これは今思っていることなのか、この時思っていたことなのか。文章にすると実際のことからかけ離れてしまっているのではないか。ある種の気持ち悪さも抱えながら書き進めている。日記やnoteと違って、何日もかけて書くことに連続性があるから、今書いていることが過去や未来とつながっているというプレッシャーのようなものも感じながら書いている。


noteの文章は今日もここに捨てていく。
どちらの書き方も今の自分には必要なのだと思う。

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