そういえば、去年の台風の日。
目覚まし代わりに聴いていた5時のラジオで目が覚めた。
いつもは時事ネタをからめつつゆったりとしたテンポで話し始めるアナウンサーの声が、その日は冒頭から張り詰めていた。
首都圏に台風が来ていること、鉄道はほとんどが始発から計画運休になること、身を守る行動をしてほしいこと。この3つが繰り返し伝えられる。
いつもは少しの二度寝をしたりスマホをいじったりして起床までの時間を過ごすが、私もすぐに頭が覚醒した。
閉ざした窓の外から、ひゅうひゅうと穏やかでない音が聞こえていた。
ほの暗い朝の光を取り入れて、体育座りでベッドに座り、スマホを取り出す。その日は月曜日。とにもかくにも職場に行く方法を探らなくてはいけない。何があろうと役所は休業にはならないのだから。
普段使っている電車は始発から10時ごろまで運休。自宅の最寄り駅から職場の駅までは各駅停車で15分だ。1本でたどり着けるために通いやすい反面、他のルートを考えたことはなかった。
JR経由で一番近い駅まで行って歩くのはどうか。いや、バスが使えないか。1時間半かかるがこのルートは……。様々な可能性を考え、それぞれの路線が動いているか調べるが難しいことはすぐに分かった。地上を走る電車はほとんどが計画運休になっている。
タクシーを使ってでも行った方がいいのだろうか、と考える。
考える間もひゅうううううう、と風が吹きつけている。窓枠ががたがたと音を立てる。何か大きいものが飛んできて出窓をぶち破ることを想像した。バリーン!だかガシャーン!だか大きな音がして、何かが窓を突き抜けてくる。ベッドの上がガラスの破片だらけになる。穴の空いた窓から雨風が吹きつけてくる。不気味なまでの風の音に、そんな想像もあながち冗談ではない気がしてくる。
結局私は外に出ることを諦めた。外に出てタクシーを探すのも、運転してもらって職場に向かうのも危険だ。6時ごろに、電車の再開を待って出勤する旨を上司にショートメールで伝える。「仕方ないね(^^;」という割とラフな返事が返ってくる。
そうと決めたら焦っても仕方ない。パジャマのままもう一度ベッドにもぐりこむ、アラームを8時半に設定し、ラジオを聴きながらうとうとする。次第に眠りが訪れる。外ではまだひゅうひゅうと風の音がしていた。我ながら図太い神経をしている。
8時半にアラームの音で起き、職場に電話をかける。自転車通勤の同僚だけが出勤していて、午前の面談に出られないことを詫びる。
電車が動き出す10時までは時間がある。早めに駅に行くことにし、軽く朝ごはんを食べて身支度をしたら最寄り駅に向かう。
雨も風も止んでいて、空は晴れ間がのぞいていた。台風の後は嘘のようにけろっと晴れる。裏切られたような、拍子抜けしたような気持ちになる。
9時45分。駅には人がごった返していた。もっとも、複数の路線が通るターミナル駅なので全員が私と同じ路線を使うわけではない。皆が早めの時間から待機し、それぞれの路線の再開を待っていた。改札の外に立って、電光掲示板とスマホを交互に睨んでいる人も多い。
なんとなく行き場がなかったので、反対側の出口からいったん外に出た。セブンイレブンに寄ってコーヒーでも買おうと思った。けれどここも人でいっぱいだ。私と同じように考えた人が多かったのだろう。
コンビニも断念して駅に戻る。改札の外にいる人たちは列になって並んでいる訳ではないので、スムーズに改札を抜ける。改札階からホーム階への階段も、人をかき分けながら通り抜ける。みんなが私と同じ動きをしようとしていたら時間がかかったのだろうけど、人の間を縫って動けたのでそれほどの苦労はなかった。
ホームには電車が停まっている。始発駅だからかこれもぎゅうぎゅうという感じではなく、普段よりも少し多いくらいの人の量だ。電車に乗り込み、発車する。
少しゆっくりめの走行だったけれど、電車は順調に進んでいった。職場の最寄り駅までの間の何駅かで扉を開ける。降りる人はほとんどおらず、乗ってくるだけだ。進むごとに車内は人口密度を増す。ホームには電車を待つ人がひしめき合っている。電車の密度が増すごとに、新たに乗車できる人の数は少なくなっていく。
職場の最寄り駅に着いた。出口に近い場所をキープしていた私は、人の間を抜け出してホームに出た。ここもホームは人だらけだ。
職場の最寄り駅は都心のサラリーマンのベッドタウンのような町で、ここから乗ってくる人が多い。すでに混みあっていた電車はホームの人ごみからすればわずかな人数を飲み込んで、発車した。
次の電車を待つ人たちとは反対方向に歩き始める。すぐに異常な事態だということに気がついた。
人がひしめき合っているのはホームだけではない。ホームに向かう階段も、改札階も、改札の外まで同じ密度で人がいた。その全員が一つの方向に身体を向けていて、列にもならない人混みは動く気配を見せない。
先ほどの電車が飲み込んだ人数を思った。1本来るごとにあのくらいの人数しか許容できないのなら、この人混みは何時間も動かないままだろう。
たくさんの人たちが向く方向とは反対方向に歩き始める。動いているのが自分だけであるような錯覚に陥る。
簡単に駅から外へ出た。外にも人はたくさんいた。
職場までの徒歩10分を歩く。自宅の最寄り駅で断念したコンビニに寄った。駅の近くではないコンビニは、いつも通りの風景だった。コーヒーとデスクで食べるためのお菓子を買った。
職場は人が少なかった。電車通勤の人の多くは到着できていなかった。台風が来ることも電車が計画運休になることも分かっていたので、お客さんからの苦情はそれほど来なかったようだ。
安堵感とイレギュラーな状況に、職場は何となく浮き足だっていた。私も何となく仕事がはかどらず、最低限の必要な連絡を済ませたあとは買ってきたコーヒーを飲みながらほかの人の支援記録を読んでいた。
だるさを抱えながらもバリバリと働く予定だった月曜日の職場には、緩んだ時間が漂っていた。
定時に帰ると、職場の最寄り駅の人ごみはきれいに解消されていた。