『図書館戦争』と仕事観と読書について
ふと思い立って、一人暮らしの我が家にある本の数を数えた。
166冊。少なくはないけど特別多くもない。「ま、これは良いかな」という21冊を手放すことにした。これで145冊。
所有している本の数は、これまでに読んだ数とイコールではない。買ったくせに読んでいない本もあれば、借りて読んだ本もある。実家に置いたままの本もある。今日の主題である『図書館戦争』シリーズも、実は揃って実家にある。
だからこれまでに読んだ本の総数はわからないけれど、私は少なくない物語たちと出会ってきた。
その出発点が『図書館戦争』だった。
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始まりは確か中学生の頃。
ウチの母は「おはなしおばさん」だ。
子どものころから、本の読み聞かせに関しては時間と労力を惜しみなく注がれてきた。
物心がついたときから家にはたくさんの絵本があり、眠る前は母に読み聞かせをしてもらった。記憶にある限りでは小学生の高学年まで毎日これが続いていたのだから、我が母ながら大したものだと思う。
大きくなって、夜の読み聞かせはいつしかなくなった。
あれほど本に触れていたのに、自分から本を読むこともなくなった。
確かあれは中学3年の夏。
母がマンガを2冊進めてきた。
弓きいろさんの『図書館戦争』1と2。「面白いから読んでみて」という感じの勧め方だったと思うが、妹と母と3人そろってドはまりした。
弓さんのマンガ版『図書館戦争』は確かこの頃が出始めで、最近まで長い時間をかけて、原作の本編4冊と別冊2冊をなぞっていくことになる。
大抵のメディアミックスは原作を超えられずにちょっとがっかりしてしまうけど、これは原作と並ぶくらい好きだ。弓さん自身が原作ファンだというだけあって、細かいセリフまで原作に忠実で世界観を崩されない。それでいてマンガならではのタッチでキャラクターが生き生きと描かれているし、少女漫画チックな胸キュン要素が良い具合に加わっている。
マンガで『図書館戦争』ワールドに引きずり込まれた私は、程なくして有川浩さんの原作にも手を伸ばすことになる。
あらすじ
2019年(正化31年)。公序良俗を乱す表現を取り締まる『メディア良化法』が成立して30年。高校時代に出会った、図書隊員を名乗る“王子様”の姿を追い求め、行き過ぎた検閲から本を守るための組織・図書隊に入隊した、一人の女の子がいた。名は笠原郁。不器用ながらも、愚直に頑張るその情熱が認められ、エリート部隊・図書特殊部隊に配属されることになったが…!?
始めて読んだ約10年前はちょっと先の未来の話だと思っていたけど、2019年だったんですね。去年か。
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夜通し読んだ。続きが読みたくて次々に買い集めた。
まだ文庫化されていなかったので、ハードカバーがあっという間に全冊揃った。一冊2000円弱もする本を6冊。中学生の私と2つ下の妹の財力で一気に揃えられるわけはないから、当然ながら母の出資だ。種を蒔いた立場ではありながら、ため息交じりにお金をくれていたような気がする。
単行本を見ればわかるけど、このシリーズは見た目が結構ごつい。漢字5文字のタイトルがドドンと座っていて、一見とっつきづらくてムズカシそうな印象を受ける。何より分厚い。
それでも、自分で本を読むということがあまりなかった私が1日一冊ペースで読み進めるくらいの面白さだった。夜に読み始めたら夢中になりすぎて、気づくと朝の4時を過ぎていたこともあった。
まず、登場人物が良い。向こう見ずで真っ直ぐ、体育会系な主人公の郁。そんな郁に怒鳴り散らしながらも部下思いな堂上。聡明で美人で完璧なだけに弱さもある柴崎。誰にも負けず優秀だけど不器用な手塚。穏やかに周りを見ながらも厳しく自分に正論を科す小牧。豪放磊落な玄田隊長。
そんな彼らが図書隊という場所で働き、笑い、腹を立てる。
すぐ近くで息をしているかのように、彼らの言葉や気持ちの動きが活字を通して伝わってくる。
そして、それらを表現する有川さんの表現力!
このシリーズをきっかけに有川さんの本はほとんど読んだけれど、何より言葉の選び方が好きだ。駄文を日々ばらまいている私がこんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、私の語彙や語感は有川作品に形作られたと言っていい。
例えばどの作品かは忘れてしまったけれど、気の合う男女のことを「同じ辞書を持っている」という言い方で表していた。
愛を語るのに色んな言葉が使われているけれど、こういう言い回しを選べるのって素敵だ。
文章のリズムも良い。内容によって句読点がなく文章が続いたり、息継ぎをするような間があったり。有川さんの文章にはぐぐっと引き寄せて離さない中毒性がある。
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恋愛模様が楽しくて、こんな職場に憧れて。
『図書館戦争』シリーズに夢中になったとっかかりは、やっぱりラブコメ要素だ。
登場人物たちのキャラ立ちが明確なだけに、「この人にはこの人しかいない!」というような憧れの恋愛にうっとりとする。
長い物語の中で紆余曲折を経て、すれ違ったり傷つけあったり。友人のように応援したくなって、彼らの言動に私も一喜一憂する。
主人公の2人はもちろんのこと、個人的には特に別冊2の後半で描かれる2人の恋模様が好きだ。
一方で『図書館戦争』のもう一つの大きな主題は「おシゴト物語」だなあと思う。
主人公たちが属する図書隊は葛藤を抱えた組織だ。メディア良化法によって表現の自由が制限された世の中で、図書館の自由を守るために武器を持って闘う。
「そんな世の中は現実的じゃない」という批判も聞くし、ある部分では同意する。けれど有川さんの「あり得ない設定を一つ作って、その中で人間がどう動くかをリアルに描く」という手法が私は好きだ。その世界にいる人間や組織の動き方があまりにリアルだからだ。
このやり方は『自衛隊三部作』ではもっと極端な使われ方をしている。「人が塩の柱になるなんてありえない!」という大きな嘘を一つ飲み込んでしまえば、その世界に生きる人たちの行動や心の動きが現実的に見えてくる。
図書隊に属する郁たちは日々、戦闘に備えた訓練に明け暮れる。訓練の目的は実地で活かせる力を身に着けることであり、実際に良化特務機関と銃を交えることもある。
当たり前ながら武器を持つのは良いことではなく、当人たちもそれはわかっている。けれども「表現の自由を守る」という至上命題のために、間違いながらもそこで闘う。間違っていると後ろ指をさされながらも、血を被る覚悟をもって。
当然、組織の内外での立場の違い、考え方の違いがある。
図書隊のなかでも、図書隊の理念を大事にする派閥と行政組織としての立場を大事にする派閥がある。メディア良化委員会や報道機関にも、それぞれの立場や理念があって動いている。
だから郁たちが属する「図書隊・原則派」の立場から見ると納得できない理不尽なこともある。
それらに憤ったり、飲み込んだり、諦めたり。自分の信じるものに恥じないように、何が大事なのかその都度考えて、行動を選んでいく。
そして、そんな葛藤の傍にはいつも信頼する仲間がいる。
とりわけ、厳しくも愛をもって叱ってくれる上官。「本を守る人になりたい」という単純な理由で図書隊に入った郁は、向こうっ気が強く真っ直ぐなだけに失敗を犯すことも多く、堂上に毎日叱られる。
同じ方向を見ている仲間に囲まれて、互いに助けて助けられて。単純ではない社会の中で、選んだ職業を全うするために悩みぬく。
「図書隊(みたいなところ)に入りたい!」とまで思ったかどうかは忘れてしまったけど、こういう仲間の中で一生懸命に仕事をしたいと、強いあこがれを持った。
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そんなことを思った私の仕事観とは。
我が家は平凡なサラリーマン家庭だ。
そこそこ安定した会社に勤める父と、専業主婦の母。もはやこういう家庭は「平凡な」形ではなくなっているのかもしれないけれど、とにかくそういう環境で育ってきた。
そんな家庭で育ったからか分からないけど、小さいころから私は「大人になったらバリバリ働くんだ」と思っていた。
たぶん、仕事をしていない母への反発があった。大きくなって分かったことだけど、母には母のやりたいことやライフワークがしっかりとある。事実、子どもの手が離れたあとは短時間ながら学校司書や保育士の仕事を始めたし、ボランティア程度の活動でも、いつの間にか「おはなしおばさん」として大成している。
けれど、子どもの私にとっては「働くこと」は「会社に行くこと」であり、「お金を稼ぐこと」だった。それをしておらず、父の稼ぎで生活している母に対して反抗心を持っていたのだと思う。企業に所属せずに、好きなことで人から認められるのは結構難しいことだし、それをしている母はすごいのだなあと今なら思うのだけど。
だから、どういう仕事をするかは子ども時代の私にとっても懸案事項だった。かといって将来の夢とか得意なこととかがあった訳ではなく、ただ「バリバリ働いて、自分のお金で生活していく」という漠然としたイメージがあるだけだった。
中学のときに出会った『図書館戦争』は、そんな私にとって電撃だった。
こういう風に一生懸命になれる仕事に就きたい。仕事に誇りを持ちながらも葛藤している感じがカッコいい。できれば堂上教官みたいな上司に出会いたい。
そんな思いで将来のことを考えるようになった。
現実は、今選んだ仕事がカッコいいかと言われれば全然そんなことはないし、上司はあんまりやる気のないオジサンだ。大きな組織のルールとか考え方に辟易することはあっても、何となく順応してしまうものだということも知った。
だけど相談業務という仕事は自分の意思で選んだし、小さなあれこれが不満でも、大きく見て自分が目指したいものに叶っているから続けている。
劇的な何かなんて起こらないし、妥協しているんだろうと言われればそうかもしれない。
でも自分の能力を知って、どういう仕事が世の中にあるかを知って、人との出会いもあって流れ着いたのがこの仕事だ。
今の仕事を一生続けるつもりもないけれど、100%やりたいことだけができる仕事なんてあり得ない。その中で一番いい選択をしていくしかない。
そういうものなのだ、現実は。悟った言い方は好きじゃないけれど。
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あの読書体験を渇望して。
中学で『図書館戦争』と出会って以来、私は本を読み漁るようになった。
、、、訳ではなかった。
自発的に色々な本を探して読むようになったのは、他の要因もあって20歳を過ぎてからだ。
それまでは、有川作品をしらみつぶしに読んだり、母から勧められる他の本を読んだり。読書を全くしない日々が続くことも珍しくなかった。
決まったパターンの中に居るのが安心する性格なので、同じ本を何度も読んでも退屈には感じなかった。
20歳で自発的に本を読むようになった理由はここでは割愛するけれど、それから数年の間に私は沢山の物語と出会ってきた。
『図書館戦争』シリーズより好きになれる本なんてないと思っていたけど、同じくらい引き込まれる作品や、他の方向性で好きになれる作品もあった。ノンフィクションも沢山読んだ。
同じ作家さんの作品を次々に探し求めたのは、有川さん以外では横山秀夫、山崎豊子、吉田修一、村上春樹とかかな。他にもいたかもしれない。「この物語が好き!」というものには沢山出会った。
『図書館戦争』シリーズのあとがきで、「物語はここで終わるけど、彼らの人生はこれからも続いていく」というような言葉があった。本の中の物語はそこで終わる。もっと彼らの日常を見ていたい気もするけれど、あとは自分で想像するしかない。「あの子は今頃どうしているだろう」と、友人の近況に思いを馳せるように。想像できる余地が残るところも、本の魅力なのだと思う。
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思えばあの中学3年の夏の読書体験——ぐいぐいと物語の世界に引きずり込まれて眠気も感じないほどの興奮を、私はいつも渇望している。
本屋で新しいジャンルを開拓することや、人から勧められる本に飛びつくことは、夢中になれる物語と出会うための冒険だ。
そして、時々『図書館戦争』や他の有川作品をめくったり、有川さんの新刊を手に取ったりする。私の感覚にぴったりくる文章に、実家に帰ったかのようにほっとする。
ここまで書いてきて改めて思う。私は本が好きだ。
読むのは遅いし集中力はないし新しいものに手を出す冒険心も本当は薄いし、「読書が趣味」とか「本の虫」と言えるほど読んできている訳ではないけれど、本が好きだ。
これからも、一生かけて沢山の本と出会いたい。
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