順番でいくと、ここに「投馬国」が入ります
「不弥国」から「南,水行二十日投馬国」と書かれた「投馬国」です。この国は、「大八島国」制定時に「好古都国」同盟国内として「豊国」内の一部となった国です。
そして、「台与」が統一王権を獲った「六島」時代には、「吉備児島」となり、「台与」の統一王権が安定した「十神」時代には、「(※)水戸神(みなとのかみ)、名は速秋津日子神」となりました。
※水戸神 … 「宇土半島」先端、「大矢野島、維和島、戸馳島」に囲まれた時化に強い「三角港」を表現していると考えます。
私の勝手な思い
「魏志倭人伝」内で「倭国」内には,牛馬がいないと書かれています。しかし、「卑弥呼」が死に、「邪馬壱国」が消滅して(古事記内)「伊耶那岐命、伊邪那美命」の「子淡道之穂之狭別島」が生まれましたが、
「魏志倭人伝」内で“ さらに男王を立てる。国中服さず。さらに相誅殺し、当時、千余人を殺す。また、卑弥呼の宗女、壱与、年十三を立てて王と為す。国中遂に定まる ”
と「狗奴国」内に「台与」統一王権が誕生しました。
この「台与」統一王権内となった「豊国(好古都国同盟国)」内の「投馬国」内である「三角港」において、中国から牛馬を輸入し、牛馬と共に物資運搬用具も輸入して、後の時代の水田開拓や古墳造成に活用したのではないかと想像します。
不思議に思うのは、エジプトのピラミット造成において牛馬の話が出ないことです。