九州島「倭国」内「狗邪韓国渡来人国」
(本文は、邪馬台国・倭国三十国の比定内の「音形」読みによります)
狗邪韓国渡来人国
九州島に連合統一という形で「倭(和)国」を誕生させた「九州人国、狗邪韓国渡来人国」の
玄海灘を含む北面に「狗邪韓国渡来人国」の「奴国、伊都国、末盧国、斯馬国」があります。
他に、筑紫平野内の「邪馬壱国」倭王国の東面となる「烏奴国、躬臣国」も「狗邪韓国渡来人国」です。
この中で「斯馬国」が、「北松浦半島」を挟んで「伊万里湾地区」と「北九十九島地区」があり、両地区が盟主王国でになっています。
〇「北九十九島地区」は … 「倭国」誕生時の九州人国盟主王国である「弥奴国、好古都国」盟主王連合国に連合し「倭国」統一に参加しています。
〇「伊万里湾地区王」は … 「倭国」に移住して倭王権を獲った「徐福」船団の「徐福、狗邪韓国王(邪馬壱国)」内の「狗邪韓国王」から倭王権を委譲されて
三官(爾支、泄謨觚、柄渠觚)を組織し、「卑弥呼」は「徐福」から倭王権を委譲されて共に「伊都国」内の「糸島」に駐屯して倭王権の執行を行いました。
期間としては、「徐福」船団が「倭国」に移住した「始皇帝」生存中の紀元前221~210年内から「卑弥呼」が死亡した西暦248年の長年です。
「不弥国」… いろいろな場所に想定されて場所の定まらない「不弥国」は、内陸となった「邪馬壱国」倭王国が大陸との独自の交易の為、
「邪馬壱国」連合国である「奴国」の「博多湾」内となった「志賀島」の港湾を利用するために取得した「能古島、志賀島、玄界島(福岡湾)」で「邪馬壱国」倭王国の飛び地国です。
「魏志倭人伝」内「南」使用の共通点航路地図
下記は、「魏志倭人伝」内で「南」文字で表現された国々の共通点が、倭王権者が在籍している国と理解できます。
「不弥国(志賀島)」から「投馬国」への航路と「投馬国」から「邪馬壱国」への航路を書いたものです。
「投馬国」内の倭王権者 … 「倭女王国」との戦争に勝ち「倭国」倭王権者となった「狗奴国王」の「弥弥(狗古智卑狗、卑弥弓呼、弥弥)」です。
「弥弥那利」… 「倭国」誕生時に倭王権を構築した「倭国統一三ヶ国盟主王連合」が、「徐福」船団で「倭国」に移住した「徐福、狗邪韓国王(邪馬壱国)」体制に拘束軟禁されて、「倭国」が征服されていましたが、
「倭女王国と狗奴国」の戦争で「倭女王国」を征服した「狗奴国王」に収容されて「狗奴国王、倭国統一三ヶ国盟主王連合」が連合を組んだ「倭国統一三ヶ国盟主王連合」です。
「投馬国」から「邪馬壱国」に向かって「南、水行十日、陸行一ヶ月」の「南」ですが、この表現期間は、「邪馬壱国」を倭王国ならしめていた「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を「狗奴国王」に奪われて倭王権を失った「邪馬壱国」です。
したがって、後に名前がでる「邪馬壱国」の母国王であって「倭国王」でもあった「台与」が「邪馬壱国」内にいたことになります。
二度目の「奴国」の「南」は、「邪馬壱国」倭王国を征服した「狗奴国王(弥弥)」の母国です。
この玄海灘面の「狗邪韓国渡来人国」に国々は、「伊耶那岐命、伊邪那美命」に制圧されて「子淡道之穂之狭別島」体制内に連合され、「子淡道之穂之狭別島」が定めた「大八島国」内での国名が、
「斯馬国;北九十九島地区内」が … 伊予国,愛比売
「斯馬国・伊万里湾地区」が … 讃岐国,飯依比古
「末盧国、伊都国」が統合されて … 粟国、大宜都比売。
「奴国」が … 土左国、建依別。
筑紫平野内の「伊邪国、邪馬壱国」と「狗邪韓国渡来人国」同盟である「烏奴国、躬臣国」は、「子淡道之穂之狭別島」体制内に国を没収されました。
そして、国々の大人は、「倭国」全国の大人と共に統一国である「子淡道之穂之狭別島(狗奴国)」内に移住しました。
国々内の民衆全員は、「豊国(好古都国同盟)」内の「不呼国(現在の鹿児島県内)」に強制移住されました。