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「山、邪馬壱(台)国、大和」の「ヤマ」って何?

本文は、「永瀬淳幸」著「邪馬台国・倭国三十国」比定の「音形読み」によります。本文中の マ行音・ン音 の音形に使われた ,区切り内、 を ・容積内、 と変更してあります。

私の趣味勉強のヤ音の音形は、「ヤ x・重なり形が 立体内に 分かれる」で主要部分は「重なり形」です。いろいろな「ヤマ」単語を「ヤ=重なり形」主体として読んでみます。

山(ヤマ)… 音形読み結果
〇高地重なり形(連続)の高地間空間低地内で大地接合統一がある。 

(ヤ)高地が重なり形をした
(マ)高地間の空間低地内が接合統一している

「邪馬壱国」 … 邪馬(ヤマ)、 壱国(イチコク)音形読み結果
邪馬(ヤマ)
〇(倭国内は)「九州人国、狗邪韓国渡来人国」が連合統一(重なり形)をした連合統一の倭王権内になる

(ヤ)(倭国内は)「九州人国、狗邪韓国渡来人国」が連合統一(重なり                    形)をした
(マ)連合統一内の倭王権内になる

壱国(イチコク)
〇倭王権内の組織内にして(狗邪韓国渡来人国盟主王の)「斯馬国・北九十九島地区王」が入りきる、
「斯馬国・北九十九島地区王」を(母国王の)「狗邪韓国王」内に集めて(倭王権組織も同時に集め)「徐福、狗邪韓国王(邪馬壱国)」内に「倭国」を交わった(征服した)

(イ)倭王権の組織内になり
(チ)(狗邪韓国渡来人国盟主王の)「斯馬国・北九十九島地区王」が入り             きる
(コ)「斯馬国・北九十九島地区王」を(母国王の)「狗邪韓国王」内に集             めて
(ク)(倭王権組織も同時に集め)「徐福、狗邪韓国王(邪馬壱国)」内に            「倭国」を交わった(征服した)


※「徐福」船団の「倭国」征服

「徐福」伝説内には、最初「始皇帝」からの要望である「不老長寿」の薬を求めて東海に船出した時に大きな鯨に邪魔されて目的地に行けなかった。

「始皇帝」から二度目の援助で(鯨…狗邪韓国)を退治して「狗邪韓国王」を伴い、
「九州人国、狗邪韓国渡来人国」連合統一の「倭国」内に移住し、

「狗邪韓国王」の下に「狗邪韓国渡来人国」と共に連合の「九州人国」を従属して「倭国」を征服した。


「徐福」船団の … 「倭国」移住

「邪馬壱国」創建
〇「徐福」船団(徐福と狗邪韓国王重なり)を立体内にした「徐福」体制内となる「狗邪韓国王」に服属する、

「狗邪韓国渡来人国」国々を国内にした「倭国」内に来航移住して、「狗邪韓国渡来人国」が国を構えた筑紫平野内に交わる(烏奴国、躬臣国が国を構えた西面)。

(ヤ)「徐福」船団(徐福と狗邪韓国王の重なり、そして、船団の重なり                  形)を立体内にした
(マ)「徐福」船団の「徐福」内となる「狗邪韓国王」に服属する
(イ)「狗邪韓国渡来人国」が住み着いた
(チ)「倭国」内に来航(移住)して
(コ)「狗邪韓国渡来人国」が国を集めた(構えた)
(ク)筑紫平野内に(徐福、狗邪韓国王の邪馬壱国を)交わる


「邪馬台国」 … 邪馬(ヤマ)、 台国(タイコク)音形読み結果

邪馬(ヤマ)
〇「狗奴国王、倭国統一三ヶ国盟主王連合、台与」倭王権権者(重なり形)を「狗奴国(※古事記・子淡道之穂之狭別島)」内にした

(ヤ)「狗奴国王、倭国統一三ヶ国盟主王連合、台与」倭王権者連合(重な             り形)を
(マ)「狗奴国(※古事記・子淡道之穂之狭別島)」内にした

※「魏志倭人伝」内で「倭女王国」と「狗奴国」が戦い「狗奴国」体制が勝ちます。そして、「邪馬壱国」は消滅しますが「邪馬壱国」の後を継いだ「台与」が、
「倭国」倭王権者仲間になり、「狗奴国王、倭国統一三ヶ国盟主王連合、台与」倭王王権者が揃って「狗奴国」内に入って王権体制を築きました。

台国(タイコク)
〇「狗奴国」内となる「台与」体制が「狗奴国王、倭国統一三ヶ国盟主王連合」倭王権者を拘束して、
「台与」体制内に連合している「狗邪韓国渡来人国」内(伊都国の糸島内)に交えた(監禁した)。

(タ)「狗奴国」内となる
(イ)「台与」体制が「狗奴国王、倭国統一三ヶ国盟主王連合」倭王権者を              拘束して、
(コ)「台与」体制内に集まった
(ク)「狗邪韓国渡来人国(伊都国の糸島)」内に交えた(監禁した)。

「九州」内「狗奴国」内となった倭王権者の「台与」が、他の倭王権者である「狗奴国王、倭国統一三ヶ国盟主王連合」を拘束監禁して「台与」統一王権を築きました。

これで、「九州島」内で「倭国」体制に統一されない国は、日向灘面の「侏儒国」だけになりました。

私の「邪馬台国」誕生理解
この時点の「九州島」内王権体制
1,「狗奴国」内に「台与」単独王権が成立しています。
2,「狗奴国王」と「倭国統一三ヶ国盟主王連合」倭王権者は、「伊都国の           糸島」内に監禁状態で「台与」の王権を裏付けています。
3,「倭国統一三ヶ国盟主王連合」は、「倭国」原初の連合倭王権者です。          そして「臺=三公」です(弥奴国王、斯馬国・北九十九島地区王、好古        都国王)。
4,「伊都国の糸島」内にいた「魏」の使者を「魏」に送り還しました。
5,「台与」が「伊都国の糸島」内「臺(三公の倭国統一三ヶ国盟主王連            合)」を詣でて、
  原初倭王権の威厳と格式を保つ為の 「男女の生口三十人を献上し、白珠          五千孔、青句珠二枚、異文雑錦二十匹を貢ぐ」、
    というのが、自分なりに納得した「邪馬台国」です。


大和(ヤマ) (ト)

〇「九州島、四国島、本州島」が列島(重なり形)をした列島内の全部族を(九州島統一部族が)統一して、「奈良」に(新)統一王権を設置しました。

(ヤ)「九州島、四国島、本州島」が列島(重なり形)をなした
(マ)列島内の全部族を(九州統一部族が)統一して

(ト)奈良に(新)統一王権を設置した。

※空白の四世紀に「九州部族」の次男以下が「四国、本州」内に侵攻して大和政権を建設し、後には、朝鮮半島にも侵攻して中国王朝に遣いする暇が無かったかと考えます。

本家の九州統一部族より巨大になった大和統一王権は、先祖ぶる「九州統一部族」を力で鎮めたと考えます。



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