健康だった
朝が冷えていて驚いた。もう冬だ。
もう年の瀬だ。年の瀬は一番鬱々とした気持ちになるから嫌だ。
ついに障害手帳を手に入れた。
その昔、仕事のストレスですぐ体が動けなくなることが多かったので、サポートのある職に務めるべきだと友人に勧められ、じゃあどうするんだい、という話になったときに障害手帳は方法としてあげられた。
当たり前なのだが苦しくて生活に支障が出るほど、という証明は言葉だけでは足りない。何か物的に証明する必要がある。それが障害手帳というものだ。
思えばここ五年ほど苦しめられているものについて無頓着だった。薬を飲んでいれば元気だと思っていたし、人と大差なく生きていけると思っていたがそうではないらしい。普通の人はすっかり起き上がれるし、破産ギリギリになどならないし、火がついたように馬車馬の如く働き続けるなどという愚行はしないのだ。
そういうこともあって、障害手帳を取った。
障害手帳を取ったときはいわゆる躁状態だったので、まあなんとかなるだろう! という無責任なだけ考えがあった。実際にはその数日後に気を狂わせて、嗚呼障害手帳を取ってしまった、と思うのだった。自分が正常じゃないことの異常さをひしひしと感じた。悪いことではないのに、悪いことをしているようで、罪悪感にかられた。
区役所の対応をしてくれた人は大変快い案内をしてくれたので、好感と信頼が高い。こういう時の救いは案内をしてくれる人に限る。
と、いうことで障害手帳が手元にある。
仕事をストレスやその他の理由で辞めそうになっていたので、絶対に必要だろうと思っていた。だのに仕事は好調で、役目もいただけることになり、なんとか……というよりいい方向に向かっている。
けれど手に入れた矢先、障害手帳を年末調整で提出することになり、そうとう驚かせてしまったと思う。今度面談があるので、白状する。仕事を辞める気配がしたから、取りました、なんてことをいう。それでうまくいってくれればいいけれど、もしもうまくいかなったら……それは恐ろしいことなんじゃないか?
そう考えると障害手帳を取ったことは間違いで、まだまだ元気に働けるので、問題なかった、なんてことになるかもしれない。けれどうまくいくかどうかは未来の話であり、信憑性がない。だから取った。取ったはいいが、落ち込んだ。
正直に、健康的に生きられないのは仕方ないと考えて、手に入れられるメリットやサポートは受けたほうがいいということは、重々承知していると思っていた。
しかし自分の不甲斐なさだったり、思い当たる節などをさんざん思い出して、泣き出す自分がいる。むざむざと知らされる、お前は普通じゃないんだよ、という声。普通とはなにか? なんて質問はナンセンスだ。目指しているものにすらなれなかった。それでことたりるだろう。
無力感を知らない人間に言われたくないよな、と思いながらも聞いてほしいと思っている自分がいる。これらは全部矛盾していて、都合の良い妄想たちだ。
愛されることを話を聞いてもらえる、安心できる、支えてもらえる、に吐き違えている。都合の良い人間のことを、好きな人と言い換えている。
そんな事に気づいて、書かなくてもいいことを己のコンテンツとして消費させようと筆を執っている。
やっぱり、愚行すぎる。
調べてみれば優待が存在するのだから使い倒せ、とも言われた。ハンデがあるのだから、やれることは全部やれという話や世かも知れない。
しかし何をどうして、そんな何事にもあるやる気が存在すると思ったのか。優待が問題ではなく、そりゃあテーマパークなどを比較的安く入場できるのは嬉しいことだと思う。でも問題はそこではない。手帳を使うことに負い目がなくとも、手帳を持っていることに申し訳ない気持ちを抱く。
そんなもの、紙切れ一枚増えただけだと言う人も言う。とても強い人だ。自分に何が必要で、何が求められているかをはっきりとわかっている人。だからそういうことが、言える。言われて悔しい気分や、悲しい気分にはならないけれど、圧倒的な格差を感じて、身を屈めてしまう。
結局どうすればいいのか、どうしたいのかもわかっていない。わがままな自分がそこにいて、まだ現状を理解できずにいる。飲み込めていない現実は、ただ苦しいだけで何も変わらない。打破する気持ちができていないからだ。
上手いことサポートを活用して生きていくことしか浮かばない。それもどうやって? と眩暈を覚える。手帳を曝け出すことへの忌避だ。まだ健康ですと言いたいだけの小さな自尊心だ。そんなこと、もうとっくにできていないのに。
年の瀬だ。いつ死ぬのだろう、とぼうっと考えながら年を越す。
去年は楽しくやっていたけれど、今年は仕事があるのでどうだかわからない。仕事でやつれていないことだけを願う。
陰鬱な気持ちと一緒に過ごす。明るい話題の裏で、隣人の気配を感じている。