改革派は自分に甘い?

パワハラ・おねだり問題で失職した斎藤元彦兵庫県知事が返り咲いた。予想はしていた。候補者が多すぎる。知事選に出たくせに元知事を応援する立花孝志はいい加減レッドカードを与えて、政治には関わらないでもらいたい。斎藤氏は時間が味方することを何よりも知っていた。戦術家としては大したものだ。

相次ぐクレームを受け流したり、支援された政党からはしごを外されたことに対して泣くなど、悪態を付くことで他の政治家を煽り、候補の乱立に成功した。有象無象の中では知られている自分のほうが一日の長があるので当然有利に働く。牛歩戦術を取り、人々が疑惑を忘れることを狙った彼が持っている大きな自信は、後ろ盾を失ったことによる判官贔屓を呼び起こし、齋藤氏が間違っていないのではと人々に思わせた。そして(指示してはいないだろうが)支援者が動き、プロパガンダを流すことでネットでの人気を上げたわけだ。おそらく地頭が相当回る男だ。そして、兵庫県民はあっさりとこの戦略に流されてしまった。

兵庫県は本当に変われるのか

しかし百条委員会で尾ヒレがついたにせよ、疑惑は黒いままだ。大体、公益通報を握りつぶしたのは間違いないのだ。そんなブラック職場に優秀な公務員が来るか? 兵庫県庁が就職先として人気が減ったのは記憶に新しい。斎藤氏に投票した人はそれを理解できているのだろうか

そして斎藤元彦という男が、今までの自分の非ををちゃんと反省できて、よりクリーンな環境を作れるか疑問だ。おそらく今までの行動原理から、自分のやってきたことがすべて信任されたと考え、何も変えることはしないだろう。いやむしろパワハラは悪化するはずだ。筆者は斎藤氏は改革派だと認識しているが、改革の対象に自分は含まれないのだろうか。自分を変えると言っても信用されるレベルは通り越していると思うが。

これは既視感のある構図だ。そう、泉房穂・元明石市長がアンマネを失敗したり、パワハラがあっても当選していた頃だ。その頃と兵庫市民の感覚は変わっていないのかもしれない。公務員は下僕なのでいくらいじめてもいいという考えは間違っているし、仕事はできるが周りをギスギスさせる人よりも、仕事ができてかついい職場が作れる人間の方が良いに決まっている

おそらく斎藤知事は議会を解散するだろうが、彼と志を同じくする議員が集まるのか、それとも今まで通りの逆風が吹くのか楽しみだ。

嘘を嘘であると見抜くのは極めて困難だ

今回の当選ではネットから情報を取得した層の影響が大きいとされる。既成メディアが信用できないというのは分かる。しかし、ネット情報というのは(この記事もそうだ)話し手の主観でしか無い。もっと言えば自分に都合のいいことしか書かない。そのフィルター、キュレーションが本当にできているのだろうか? 自分は自信が無い。メディアに携わる人間は自分の何倍も情報に触れているのは間違いない。「報道しない自由」などと揶揄されるが、それはすべて報道したらみんな混乱するからだ。

「嘘を嘘であると見抜けないと(ネットを使うのは)難しい」。説明不要の、ひろゆき氏の金言だ。黎明期にネットリテラシーを端的に定義したという点で間違いなく重要な発言だが、実際にどうやって嘘を嘘であると見抜くのか。それは誰も説明することができない。情報を集めても「合成の誤謬」はどうしても起こる。メディアには複数の記者がいるわけで、彼らが照らし合わせることで誤謬の可能性を減らしている。個人でそれをできるとは思えない。

なので私は「メディアは信用しない、ネットが正しい」という人間を軽蔑する。そもそもネットの情報はAとBで矛盾するものだ。そのすべてが正しいというのは思考停止だし、AなりBなりを盲信するのはなおさらだ。

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