「国歌君が代の由来」(昭和16) その2
献灯碑に刻まれた30名について小山作之助*1氏は、1914年(大正3)1月に元薩摩藩軍楽傳習生の折田徳道*2氏に依頼してそれぞれの担当楽器について調査しました。
折田徳道氏は、献灯碑には「頴川徳明」と刻まれていますが、文献により「折田徳蔵」「頴川宗次郎」「頴川宗次郎徳名」と様々な表記がなされています。
石に刻まれた文字は揺るぎない
さまざまな薩摩バンドについて書かれた文章に伝習生として氏名が明らかになっている方々は、森山孫十郎献灯碑が根拠の一つとなっていて、その情報にさまざまな聞き書きの内容が書き加えられていったと思われます。ただし、献灯碑に名が刻まれているのにその後に作成された傳習生名簿に記されることの少ない方もいらっしゃいますし、献灯碑にはないが名簿に記される方もいらっしゃいます。
献灯碑に刻まれた文字
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大圓寺の者が毛筆で書き写す
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小山作之助のおそらくペン手書き原稿
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昭和16年に「国歌君が代の由来」を出版
(出版の名簿には誤植がありそうです)
*1 小山作之助(こやま さくのすけ 1864-1927)作曲家 日本教育音楽協会初代会長
*2 折田徳道(おりた とくみち)は薩摩軍楽傳習生で、献灯碑には「頴川徳明」と刻まれているが、文献により「折田徳蔵」「頴川宗次郎」「頴川宗次郎徳名」と記されている。
writer Hiraide Hisashi
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