興部中学校吹奏楽部
興部中学校吹奏楽部は北海道連盟に小編成の部門(B編成)が創設された1966年(昭41)から3年間連続で北海道大会1位を獲得し、1969年(昭44)には北海道大会での招待演奏の機会を得ました。旭川で6月に開催される北海道音楽行進にも毎年参加していましたし、夏季休業期間中には旭川の自衛隊音楽隊での技術指導を受けるための合宿や、その頃北海道で開催されていたミュージックキャンプに部員全員で参加したり、8月15日頃には定期演奏会を開催したりしていました。
北見で開催される地区コンクールには、前日に国鉄にティンパニや大太鼓等の打楽器を含む全ての楽器を持ち込み移動し北見に宿泊し大会に参加しました。札幌での北海道大会参加時も国鉄に全て持ち込んで移動しました。なお、その頃の吹奏楽コンクールは、地区大会も北海道大会もそれぞれ一日日程での開催でした。
大阪万博が開催された1970年(昭和45)に入部した興部中学校吹奏楽部の活動は、練習休みの日はお盆と正月だけ、土日の練習は9時から12時まで、毎日の朝練習では30分程のロングートーン、放課後の練習開始時にも30分程のロングートーンという日課でした。札幌交響楽団の香川先生、ヤマハの大泉・街道・鈴木先生(他にもいらっしゃったかも)による楽器別講習、道吹奏楽連盟の小笠原理事長等による合奏講習もあるなど、とても充実した活動がなされていました。
中学校で演奏した曲は、主に共同音楽出版社やバンドジャーナル付録、そしてヤマハの楽譜・ミュージックエイトの楽譜と記憶します。たくさんの青いカバーの共同音楽出版社の楽譜や背表紙をつけて整理されたバンドジャーナル付録、そして輸入楽譜が興部中学校吹奏楽部の楽譜棚には並んでいました。
使用していた楽器は日本管楽器*2(ニッカン)製だった記憶します。
*1 1966年(昭和41)からB編成が、1972年(昭和47)からC編成が始まりました。
*2 ヤマハは1937年(昭和12)から日本管楽器に経営参画していましたが1963年(昭和38)から管楽器の開発に取り組み、1966年(昭和41)にはヤマハブランドの最初の管楽器(トランペット)を発売しました。その後ヤマハは日本管楽器を1970年(昭和45)に吸収合併しました。
writer Hiraide Hisashi
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