見出し画像

海軍軍楽隊の沿革

 薩摩藩軍楽伝習(1869年:明治2)の3年後の1872年(明治5年)に兵制改革があり海軍軍楽隊と陸軍軍楽隊が組織されました。初代海軍軍楽隊長を中村祐庸(碑には長倉祐庸)、初代陸軍軍楽隊長を西 謙蔵(碑には西 實一)が務めるなど、多くの伝習生が陸海軍楽隊のメンバーとして大きな役割を果たしました。 

 明治20年12月28日海軍省編の「海軍軍楽隊沿革資料*1」や「海軍軍楽隊沿革史*2」(昭和12年)には薩摩軍楽伝習生の氏名に関する記述は見当たりません。なお、「海軍軍楽隊沿革史」の成立経緯について、中村理平*3は、「長倉祐庸(のちの中村祐庸*4)の初稿を吉本光蔵*5がまとめ、さらに瀬戸口藤吉*6が三浦俊三郎*7の研究を取り入れた*8」と推測しています。「海軍軍楽隊沿革史」は、昭和12年にまとめられましたが、それ以前に小田切信夫*9が参照した「東京築地、横須賀海兵團軍樂隊派遣所蔵軍樂隊沿革史*10」を原本としたと思われます。

*1 「19世紀の日本における外来音楽の受容」(塚原康子)に「海軍軍楽隊沿革資料」(明治20)が示されている
https://dl.ndl.go.jp/pid/11393840/1/257
*2 「海軍軍楽隊 : 日本洋楽史の原典」(楽水会 編1984:昭和59)に「海軍軍楽隊沿革史」(1937:昭和12)が示されている https://dl.ndl.go.jp/pid/12016589/1/245
*3 中村理平(なかむら りへい1932-1994)音楽学者 日本大学生産工学部講師、日仏文化協会理事
*4 中村祐庸(なかむら すけつね 1852-1925)薩摩バンド出身の初代海軍軍楽隊隊長 旧名 長倉彦二・長倉祐庸
*5 吉本光蔵(よしもと こうぞう 1863-1907)海軍軍楽隊長
*6 瀬戸口藤吉(せとぐち とうきち 1868-1941)海軍軍楽隊長
*7 三浦俊三郎(みうら としさぶろう) 「本邦洋楽変遷史」(日東書院 昭和6)の著者
*8 「洋楽導入過程の研究 : 先達者の軌跡」1991提出 博士論文https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/3054509/1/20
*9 小田切信夫(おだぎり のぶお1893-)三島市制施行祝賀行進曲を作曲 浜松師範学校卒、小学校教師32年間、旧制中学校教師10年、日本大学三島図書館勤務16年、「君ヶ代」研究家
*10 小田切信夫氏の4冊の書籍「国歌君が代講話(昭和4)・国歌君が代講話再販(昭和11)・国歌君が代の研究(昭和40)・国歌君が代の研究訂正版(昭和41)」以外にこの資料からの引用は見当たらない。


関連記事

黒船の軍楽隊 その00ゼロ    黒船の軍楽隊から薩摩バンドへ 
Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生     塚原論文を読む
Sarsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その2  薩摩軍楽伝習生名と担当楽器
Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その3  楽器購入額は1500ドルか
Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その4  忠義公史料を読む

「ザ・ファー・イースト」を読む その1  鐘楼そして薩摩バンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2 鐘楼 (しょうろう)
「ザ・ファー・イースト」を読む その2  薩摩バンドの初演奏
「ザ・ファー・イースト」を読む その3  山手公園の野外ステージ
「ザ・ファー・イースト」を読む その4  ファイフとその価格
「ザ・ファー・イースト」を読む その5  和暦と西暦、演奏曲
「ザ・ファー・イースト」を読む その6 バンドスタンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その7 バンドスタンド2 、横浜地図

                       writer Hiraide Hisashi

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?