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「ザ・ファー・イースト」を読む  その5


ザ・ファー・イーストの暦

 ザ・ファー・イーストの発行日等の暦は太陽暦で記されていますので第1巻1号の発行日1870年5月30日は、日本の暦では明治3年5月1日ということになります。

12月2日の翌日は1月1日です。

(明治5年から明治6年への特別な話)

国立国会図書館「日本の暦」より

 明治5年12月2日まで、日本の暦は「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」または「太陰暦」「陰暦」と呼ばれる暦を使っていました。天保15年(弘化元年 1844)から使われていた天保暦が、明治6年(1873)に現在も使われている太陽暦を使うことになりました。
 日本では823年間にわたり平安時代(862年:貞観4)に定めた中国の宣明暦(せんみょうれき)をもとにして毎年の暦を作成してきましたが、江戸時代に入ると、暦と日蝕や月蝕などの天の動きが合わないことが問題となり1685年に貞享暦、1755年に宝暦、1798に寛政暦、1844年に天保暦と改暦が行われました。
 明治政府は、西洋の制度等を導入し近代化を進める中で欧米との暦の違いを解消するために、明治6年(1873)から太陰太陽暦に替わり現在使われている太陽暦を採用することにしました。明治5年(1872)の11月9日に、およそ1ヶ月後の明治5年12月2日に明治5年が終わり翌日を明治6年1月1日とすると発表したのですから、大晦日もないままに新年になってしまうことになり大きな混乱は続きました。

  • 「月給契約の12月分の給料は支給しない」「年俸契約の給料は旧暦の12月分または月割で支払う」「借金利息については年利の場合、明治5年分は1年分、明治6年分は1年から28日(前年の12月で消えた日数)分を差し引いて換算する」ことが、暦を代える4日前の11月29日に決定交付された。

  • 商品の代金清算を暮れ(盆)にしていたことが多かったのに12月がなくなってしまった。

  • 新年の準備や大晦日の大掃除や年越しそばの習慣が出来なくなってしまった。

  • 太陽暦に替わる明治6年(1873)の暦(カレンダー)の印刷修正が間に合わなかった。

  • 太陽暦(グレゴリオ暦)をよく理解しないまま改暦したため、「うるう年」にグレゴリオ暦との誤差が発生していた。(明治31年5月に修正発表)

  • 5年後の明治6年1月に「五節句」(人日:1月7日、上巳:3月3日、端午:5月5日、七夕:7月7日、重陽:9月9日)と呼ばれる祝日が廃止され、新たに朝賀(1月1日)、天長節(天皇誕生日にあたる9月22日)が祝日とされた。

薩摩バンド演奏曲

 薩摩バンドは1870年9月7日(明治3年8月12日)に横浜の山手公園野外ステージで、7月末*1にロンドンから届いた楽器を使っての初演奏を披露しました。そのことを紹介したザ・ファー・イースト第1巻8号(1870年9月16日発行)では曲名が明らかになっていませんでしたが、およそ1年後に発行された第2巻3号(1871年7月1日発行)の記事で「古代ガリア人の服(The Garb of Auld Gaul)」と「リンカンシャーの密猟者(The Lincoinshire poacher)」が演奏されたと紹介されています。
 また、明治3年9月8日(1870年10月2日)に行われた東京 越中島における天覧練兵の際に「君ヶ代」が演奏されたと「国歌君が代講話」(小田切信夫 昭和4)「音楽五十年史」(堀内敬三 昭和6)にあります。
 他に、「海軍々楽隊沿革資料(明治20年12月28日編纂)」には、フェントン氏は1年間で「英國女皇ヲ祝スルノ曲、早行進ノ譜遅行進ノ譜及國歌君ヶ代等」を伝習したとあります。

古代ガリア人の服(The Garb of Auld Gaul)

 ザ・ファー・イーストには、「古代ガリア人の服」は、ブラックウォッチとしても知られるスコットランド第42歩兵連隊のクイックマーチと記されています*2。
 なお、英語版ウィキペディア(Wikipedia)によると「この曲はもともと早行進曲でしたが、後に遅行進曲に変更されました。」とあります。

18 世紀のスコットランドの行進曲 John Reid (1721–1807)作曲

リンカンシャーの密猟者(The Lincoinshire poacher)

「リンカンシャーの密猟者」は、第10ノースリンカーン歩兵連隊のクイックマーチと記されています*3。
 なお、英語版ウィキペディア(Wikipedia)によると「最初の印刷版は1776 年頃に登場、そしてジョージ 4 世(1762–1830)のお気に入りだった」とのことです。

18世紀頃から伝わる古いイギリス民謡(イングランド民謡)

君が代

国歌君が代講話 (小田切信夫 昭和4) P.25

フェントン(John William Fenton)作曲

英國女皇ヲ祝スルノ曲(God Save the Queen)

 1870年のイギリス君主は、ヴィクトリア 女王*4なので「女王陛下万歳(God Save the Queen)」が歌われていました。国王ジョージ2世在位の1745年に制定された曲で男性君主の時には「国王陛下万歳(God Save the King)」と歌われます。

早行進ノ譜

「リンカンシャーの密猟者」かそれとも別の曲なのか不明

遅行進ノ譜

「古代ガリア人の服」かそれとも別の曲なのか不明

脚注

*1 「7月末」は1870年9月16日(明治3年8月21日)発行のザ・ファー・イースト第1巻8号によると「7月31日」(日本暦7月4日)
*2 "The Garb of Auld Gaul" — the Quick-step of the Black Watch, 42nd Highlanders
*3 "The Lincolnshire poacher" — the Quick-step of the 10th (North Lincoln) regiment
*4 ヴィクトリア 女王(Victoria 1819年-1901 在位 1837-1901)


他の「ザ・ファー・イースト」を読む

「ザ・ファー・イースト」を読む その1
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2
「ザ・ファー・イースト」を読む その2
「ザ・ファー・イースト」を読む その3
「ザ・ファー・イースト」を読む その4
「ザ・ファー・イースト」を読む その5
「ザ・ファー・イースト」を読む その6
「ザ・ファー・イースト」を読む その7

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                       writer Hiraide Hisashi


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