テレビマンになるまで vol.1
今どきテレビマンになりたい人はいるのか?
そんなことを言われるのも当然だろう。
実際、テレビがモニター化している人が今はほとんどではないだろうか。
だが、去年まで勤めていた映像専門学校の学生(18〜20歳)のほとんどが
YouTuberや映像ディレクター志望ではなく、テレビマン志望だった。
まだ火は消えていなかった。
そんな学生がふと、この記事を読むかもしれない。
その時のために自分の経験したこと・感じたこと・やっておいた方が良かったと思うことを残しておこうと思う。
テレビを作る気は全くなかった
学生時代の夢は、ピザ職人だった。
(理由を書くと長くなるのでまた別の機会に…)
が、当然誰からも賛同を得られず周りの目を気にして、好きだった歴史の教師を目指した。
本気で目指しているわけでもなかったので勉強に力が入らず大学入試失敗。
夢を見失った18歳。
昼夜逆転した生活の中、フリーターとして働いていたとき
運命の出会いをした。
『深夜ラジオ』だ。
2005年〜2007年までやっていた、FMラジオ「WANTED!」
RHYMESTER、バナナマン、コンドルズ
その中でも当時、火曜日を担当していたバナナマンには衝撃を受けた。
なんて面白い人たちがいるんだと。
この人たちに認められたい!面白いと思ってもらいたい!!
その思いで、ハガキ職人になった。
結果、Wikipediaに掲載していただけるほどのヘビーリスナーとなっていた。
(ラジオネームは恥ずかしいので伏せておきます)
そうしているうちに、この人たちと一緒に仕事がしたい!
そうだ、ラジオディレクターを目指そう!
まだスマホもない時代。
どうやったらラジオディレクターになれるのか全くわからなかった。
そこで行き着いたのは、専門学校だった。
そこで、とある人との出会いでテレビ業界へ行くことへなる。