Vol.2 長文は読まれない
自分のつぶやいた発言がちょっとでも長いと、おもしろいくらいに読まれないなぁとつくづく感じる。
Twitterが流行りだした頃、「どこどこナウ」といった10文字に満たない程度のつぶやきが主流だったように思う。
文字数に制限はあったものの、進化とともに画像やURLを貼り付けたりできるようになって(はっきりした順番は覚えていないけど)、そのうち一企業までもが会社紹介なんかするように…。
そこまでTwitter民ではなかったわたしは、Xに変わった時点でTwitter熱はあっさりと冷めてしまっていた。
そんな頃にあたらしくできたアプリ、Threads。
Instagramから派生したSNS。
ゆるい感じで使えるとあって、最近は手帳以外のつぶやきをする場所として毎日のように使っている。
よく投稿するのは毎朝作るお弁当。
お昼ごはんや晩ご飯、作り置きしたおかず、お茶時間の様子など。
画像はその一枚だけで一目瞭然。
自慢じゃないけど「いいね」は比較的すぐつくように思う。
Threadsでつく「いいね」は、内容うんぬん、自分が撮った画像が賞賛されたものだと捉えている。
もちろんそこには「おいしそうに見える」ものが付随してることが大きいのだろうけど…。
撮り方によっては「いいね」があっという間に100オーバーになることもある。
それはどういう場合なのかと言うと、ボケ感がきれいに出た画像。
背景はリビングのカーテン。
きれいなドレープ感を演出し、高級感までも醸し出してくれる。
実際には開閉時によく触る一部が破れている。笑
それがiPhoneのポートレートモードを使うだけで、プロのカメラマンになれたかのような錯覚さえ覚えるほどきれいに撮れる。
ふつうに、フレンチトーストをおいしそうと感じてくれた人が多かったのではないかと解釈している。
いかにも!な画像より、生活感が少々出ている画像のほうが共感を得やすいとも感じる。
これら3枚の投稿に共通すること。
・短い説明文が添えてあるだけ
そして時折、長文に値するであろう活字だけの文章を投稿する。
短くて5~6行。
長いと10行以上になることも。
パッと見で、ただただ長い文章だけだと、視覚的に読みたくない感覚が自然と働くのだろう。
タイパって奴がそこら中で仁王立ちしている時代なのだから。
若い世代ほどタイパを意識していないわたしでも、世に出回る'文字だけ長文'は読もうと思わない。
自分が読まないのなら人も読んではくれない。
相当な有名人ならば別だけれど…。
数日後、自分が投稿した'文字だけ長文'にひとつふたつ「いいね」がついていたり、増えているのを目撃することがある。
心やさしい人っているもんだな…と、しみじみ感じる。