#2 ちょっと落ち着け
セカセカしてると、どこか慌ただしいイメージがある。
物事に対して、目の前のあるひとつのことに対して、きちんと向き合っていないような気さえする。
昔のわたしはこんなんじゃなかった。
どちらかと言えばおっとりしている、と人から言われたこともあったし、自分でも決してチャキチャキはしていないと自負していたから。
何年か前、姉からのLINEのある一言で我に返った。
二人で名古屋に買い物に行こうと予定を立てていた、ある日のこと。
行きたい場所が何箇所かあったため、わたしはそれを円滑に運びたいがために行く順番を考えた。
何時初の特急に乗ってどこどこへ向かう。
次にどこどこへ行って、その次はどこどこ。
名駅に何時頃戻ってきて、次はどこどこ。
と、時間配分もした。
それを送ると「なんか分単位でゆっくりせんなぁ」と返事がきた。
相手の立場になって考えたら、確かにゆっくりせんよな。
姉は名古屋に行くのを楽しみにしているのに、それが分単位の行動を強いられたら誰かてイヤよな、と。
わたしは電車に乗って出かけるとなると、前日から緊張感が伴う。
乗り遅れた経験があったことや、慣れた車の渋滞とはまたちがうから。
乗り換えでは3回に1回は確実に迷うし、ムダな時間を取られることを危惧するばかりに、名古屋に行くうれしさを上回って、行く前から焦りを感じてしまっているところがあった。
それに50歳を目前にした頃からだったと思う。
何をするにしても生き急ぐような感覚で、時間を取り戻すかのように雑な行動をしてしまっていると自分でも感じでいた。
昨夜もこんなことがあった。
片手鍋に水を張って、ガスコンロへ置こうと持ち上げたとき、シンクの壁に鍋の側面をぶつけてバッシャーと水をこぼしてしまった。
作業台、床、自分にもかかって、数十秒ほど呆然と立ち尽くした。
焦ってるからやん。
前はこんなヘマしたことなかったのにって、年齢を重ねるほどにどんくさくなってきている自分にも、雑にしていた結果こうなったということにも、心底イヤになった。
昨夜は常夜鍋だった。
鍋って準備がカンタンだからという理由から、冬は毎週のように鍋が登場するとか言ってる人がいるけど、わたしは水をこぼす以前からそうは思っていなかった。
野菜を洗う手間、切る手間、かさばる野菜が満載で、大きいざるはやたら場所を取るし、いつも料理する日よりやたらゴチャつくから逆にうっとうしいくらいに思っていた。
常夜鍋って通常の鍋料理より材料が確実に少ないのにもかかわらず、なぜそこに水をこぼす工程が加わってしまったのか…。
家事だけにとどまらない。
楽しいはずのことさえも、さっさとはじめて片付けてしまおうという意識が頭にあるのだ。
時間は誰しも同じように1日24時間与えられている。
それなのになぜか、つねに時間がないと思い込んでしまっている。
それは、自身の年齢のせい。
いや、でも…焦って物事を進めたところで、何の得があるのか。
年齢うんぬん、まず落ち着け。
目の前のことをていねいにするのが大切で、それこそが大人の所作とも言えるんじゃないのか。
何事もゆっくり考え、ていねいに行動に移していきたい。
書いたことに対して向き合うにも、メモ紙に雑に書くんじゃなくて手帳にきちんと書く。
そしてしっかり振り返る。
あくせくする前に、ちょっと落ち着いて。