どちらが正しい?サウナであった本当の話

実際あった行きつけの銭湯での話


皆さんはどちらがどちらが正しいと思いますか?

マンガにも書いてますが、どっちもどっち……と言うよりどちらの意見もわかる、と言うのが自分の意見です(^-^;

常連さんサイド

声でかおじさんこと常連さんはお金をその銭湯におとしている分、今まで通りの使い方をしてもいいだろう。という意見も一理あると思いました。
というのも緊急事態宣言が発令されてから都内だとサウナ自体やってないところも多く、その銭湯に流れてくる人が増え、仕事終わりによると「今日もサウナに10人くらいいるから入るの厳しいよ」と遠回しに断られることが多く、仕方ないから大きいお風呂だけでも堪能して帰るかという日が多くなりました。
今まで通りに使いたいのに、それを新規の方々に遠慮して我慢するというのも何か引っかかるものがあると言うのが正直な気持ちです。

注意した方サイド

コロナ禍になり、その上新規でこられる方が増え、一度に利用される方も多くなったこともあり、話すのも必要最低限にすべきだ。というダンディなおじさまの意見もその通りだと思います。
銭湯側もおしゃべりは遠慮してくださいというポスターを張り出しているので、この注意は当たり前だと言えます。

結論

自分は結局どちらの肩も持てない中立、っていうのが最終意見です。
立場によって正しさというのは変わるので、正直決めるというのは難しいと思います(という言い訳をして、自分の優柔不断を正当化しておきます)

ですが、客観的に見た時に常連さんの「使わなければいい」、「正面見て話してるから大丈夫」の言葉は頂けないなというのがあります。常連で総合金額で勝ってるかもしれませんが、その日に限っては同じ料金を払っているので使うなと言う権利はなく、コロナ禍で向き合ってないといえマスクをしてない状態で話しても問題ないという意識の低さは、このご時世に正しい発言だとは言えません。

とあるYouTubeの『Twitter上のフェミニストの発言を叩く』(https://youtu.be/uQuNaetTEcI)という動画で、「権利は思いやりや義務などを基礎において成り立つ」と言う発言を聞き、この記事を作成させていただきました。
このマンガで出てくる常連さんは『常連の権利』を主張しているが、『相手に対しての思いやり』がありませんでした。こう言った言動は相手や第三者から批判的な印象を持たれやすくなってしまいますね(^-^;
自身の行動に、相手に対しての感謝があった上で自身の権利や利益を求めているかを見直すことがこのコロナ禍ではより一層重要になってくるのかもしれませんね。

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