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2011.3.11の手術室より

忘れないように10年前のあの日ことを書いておこうと思う。

10年前、自分は都内の大学病院で乳腺外科の常勤医として働いていた。

あの日、地震が起きた時、手術室で乳癌の手術をしている最中だった。
術者は自分、前立ちは年の近い先輩、和気藹々と二人でしているいつもの手術だった。

特にトラブルもなく腫瘍の部分が大方取れたころ、地震が起きたと記憶している。

最初はブルブルと足元が震えるおかしな感覚だった。長く続くその振動に「なんだ?」と思った次の瞬間、どん、と手術室が揺れた。
地震だ!と思ったがあまりの大きさにびびった。創部が大開きのままの患者さんが手術台から落ちないように「支えないとまずい」と思ったが、それ以前に手術台にしがみついていないと自分が立っていられなかった。結果、患者さんに覆い被さるように二人で手術台にしがみついて揺れがおさまるのをひたすら待つ形になった。
患者さんの頭側では麻酔機を看護師さんが必死で抑えていた。麻酔機は天井からアームで可動できるように固定されているのだが、揺れで麻酔機がどんどん移動してしまうのだ。全身麻酔下の手術なので、患者さんは気管挿管され麻酔機で人工呼吸管理されている。麻酔機にひっぱられ挿管チューブが抜けたら大変だ。助けたいが揺れが激しすぎて誰も動けない。ひたすら心の中で頑張ってと願うしかなかった。

幸い麻酔機が吹っ飛ぶこともなく、揺れは徐々におさまった。
すごかったね…と口々に言いつつ、思ったのは「続けて大丈夫なのか…?」てことである。直後、周囲の手術室から騒々しい人の声が聞こえてきた。それぞれの手術室で今やっている手術をどうするか迷っているのだ。
隣の手術室では、腹部手術で開腹した直後だったため、お腹を開けただけで創を閉じて手術中止、後日に延期にするという。

自分達の手術は中盤で、迅速病理(組織の一部を顕微鏡の検査に出して癌細胞の有無などを診てもらい、追加の切除が必要か判断してもらう)の結果を待っているところだった。
閉じる…?と迷っていると手術室の電話がなった。
迅速病理の結果がきた。……追加の術式が必要、な結果だった。

困った。
困ったが、ここで閉じるということは、患者さんに後日また全身麻酔をかけ、一回治りかけた創を開け、再手術が必要ということである。患者さんの負担とメリットと今最後までできる可能性と考えてどっちがいいだろうか…
先輩と相談した結果、最後までやろう、ということになった。
他の先生の手前語弊があったら大変申し訳ないが、乳癌の手術は全身麻酔下の手術としては手技的にはそれほど複雑な方ではない(…と思う)。これがお腹や胸の手術であれば深部に手をつっこんで狭い視野で血管周りを処理しなければならないなど、厳しいと思うが、この手術であればいけるのではないかと2人で判断した。

ただ問題は追加で切除しなければならない部分が腋窩、脇の下の部分であり、血管周りを処理して取ってくる必要があった。正直、大きめの余震が続く中、血管周りを触るのは冷や冷やしたが、もう最後までやるしかないという感じで、揺れが止まった隙に必死で腋窩の血管周りを剥離している状態だった。
電気メスのスイッチを入れる度に、揺れるなよ頼むよ…と思ったのを覚えている。

幸い、停電や大きなトラブルなく、閉創までなんとか辿り着いた。
運が良かったと思う。

手術室から出ると、病院全体が騒然としていた。
まずエレベーターが動かない。動かないので手術後の患者さんが病棟に帰れない。仕方がないので、手術室に隣接するICUをリカバリーエリアに急遽設定して、術後の患者さん達を集めていた。階段では車椅子の患者さんを4人がかりでスタッフが上げ下げしている姿があった。
2時間ほどしてようやく病棟へ帰室してもらうことができたが、ICUで目がさめた患者さんは何が起こったのか呆気にとられていた。後々、地震のニュースを見てそれはそれはびっくりしたという。

手術室から出てきた自分もスタッフルームでニュースを見て呆然とした。ようやく世間で何が起こってるのか把握できたのだ。
その夜、外来ロビーでは帰宅困難になった患者さんや家族にスタッフが炊き出しをしていた。乳腺外科外来の壁には午前中なかったヒビができていた。家の水槽は水が溢れて周りが水浸しになっていた。奮発して買ったワイングラスが割れた。


あれから10年たつ。
独身ではなくなり子供が産まれた。過労で常勤を退いた。医療参考書や論文の挿絵を描く仕事を始めた。子供のころの夢を思い出して漫画を描き始めた。賞をもらった。単行本を出した。数年後に絶版にした。自分で電子書籍が出せるようになった。
なんだか色々あった気もする。非常勤となったが外来や検査は以前と同じように続けている。

そしてあの日、手術していた患者さんがもうすぐ術後10年を迎える。ありがたいことに勤務形態や病院が変わったりしてもずっと通っていただき、自分が診させていただいた。

乳癌の術後、経過観察は患者さんにもよるが多くは5年や10年で一区切りになる。内服も終了し、以後は年一回検診程度となる。もちろん10年を過ぎて再発の可能性が0になるわけではないが、確率はぐっと低くなる。医者も患者さんも再発予防のため積極的にできることは終了するため、あとは病気のことを少し忘れてもらい、再発しないよう一緒に祈るだけだ。
自分が長年診ていた患者さんに無事に自分の外来を「卒業」してもらうことは素朴にとても嬉しい。10年の長さの重みをこういった形で感じることができるのはありがたいことだと思う。

あの地震から10年。自分には想像できないぐらいつらいことも亡くなった人も数え切れないほどあったと思う。
でも、今生きてこられた人には、どうかどんな形でもこの10年を生きのびた事に対して単純に感謝して喜ぶことができてほしいと思わずにはいられない。

願わくば、次の10年をみんなが元気に過ごせますように。

2021.3.11

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