なぜコレサワはあいみょんになれなかったのか~匿名性が表現の足枷になる時代
今年の音楽シーンは、どうも女性シンガーソングライターブームになりそうである。
昨年末に紅白に出たあいみょんがそのブームに火をつけそうである。
しかし、あいみょんと同じくらいの実力がありながらあいみょんになれない女性シンガーソングライターがいる。
それがコレサワである。
彼女が書いた「たばこ」という曲はそのプロモーションビデオのYouTubeの再生回数が口コミで伸び、順調に行けばあいみょんより先にメディアに取り上げられて売れるはず、だった。
実はコレサワは、公式プロフィールに自分の顔を載せてない。
ラジオなんかの出演の時は豚みたいな着ぐるみをしてる。
別に自分の顔に自信がないから晒したくない、という気持ちは私も分からないわけではないし、ミュージシャンの善し悪しは顔ではないのも確かである。
しかしあいみょんはその歌詞もそうだが自分の表現や実存を晒すのに躊躇がないイメージがある。
コレサワの方は、何か自分の存在を隠すことで「自分の表現を分かるファンにだけ分かって欲しい」みたいな境地になっている気がする。
ネットで喩えると、あいみょんはTwitterやInstagramやTIK TOKでコレサワは2ちゃんねるや発言小町やガールズちゃんねるやはてな匿名ダイアリーやmixiっぽいのだ。
どうも「発信者の顔が分からない表現は一般大衆からウケない時代」になりつつあるのではなかろうか。
TIK TOKやInstagramが若い人達の心を掴むのも「発信者の顔が分かる安心感」があるからではないのか。
そうなると、コレサワみたいに顔を隠して匿名性があって閉じられたコミュニティでしか受け入れられなさそうな表現のプロモーションの仕方はこれから不利になる。
ネットで発信していた米津玄師も結局顔を晒したし、コレサワがこの先着ぐるみを被ったまま表現をし続けることがどこまで可能かは分からない。
ただ、表現者として、隠すものが多いほど余計なストレスも増えると私は思うし、コレサワがそれに耐えられるかは未知数である。