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私立VRC学園とは何だったのか

私立VRC学園とは何だったのか。
今夜、卒業式を終えたところで総括したいと思います。


エストニア在住の友人の大将さんがタロタナカさんという方と組み、Oculus Questだったりパソコンだったりで楽しめる複数人参加型VRサービスの「VRChat」を使って何か新しいことをしているな、というのを知り、興味を持っていました。
それが、私立VRC学園。
どうやら、VRChatの使い方を学校スタイルで学べる、というもののようです。


そこで、6月29日から約2週間の構成となっているプログラムの1期生として参加してみることにしました。

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参加してみたいと思った理由の一つに、コロナ禍があったと思います。
この間、Zoomなどのビデオ会議ツールが一気に普及しましたが、私は常々、「オフライン会議の代替物としてのビデオ会議」ではなく、「オフライン会議よりアイスブレイクがしやすいとか、資料の理解が進むとかのメリットがあって、効率性・生産性が上がるもの」としてのVR会議の可能性に期待していました。
なので、「もしかしたら、VRChatを使えばそういう『オフラインよりもメリットが大きいVR会議』が生まれるのではないか。私立VRC学園はその可能性を見せてくれる存在になるのではないか」と考えたところがあったのです。


さて、今回の1期生は全部で46人。
3組編成となり、私の所属した1組は計16人でした。
始業式と終業式を除き、毎日45分間の授業が11回。
先生方はみな、VRChatに造詣の深い方々ばかりでした。

序盤に、(その日の先生がVRChatに参加した)2018年5月からのVRChatの歴史を学ぶ授業があり、大枠をつかむことができました。

アバターについての授業では、インドの神様の化身をアバタールと言い、そこから「アバター」という名前が来ていることを知りました。
アバターは自己表現の手法でもあり、なりたい自分になれるという点もあり。
考え出すと、哲学的な話に行き着きそうな感がありました。

VRChat内でのDJの可能性を示してくれる授業もありました。
VRChat内のワールドでは、自作の曲などを流すことができますし、アバターを通じて音楽に乗って踊ることもできます。
コロナ禍でリアルのライブハウスには行きづらくなっている中、やりようによってはVRChat内でクラブイベントを楽しめるのでは、と感じました。
入場料などのお金を取る、となると、YouTubeのように著作権管理団体との包括契約とかをVRChat側が結んでくれる形にならないと色々と面倒くさそうですが、仮想空間ならばライブハウスのように三密対策や換気などに気を使う必要はないですし、うまく仕組み化できれば、DJ、お客さんをはじめとする関係者みんながハッピーとなるシステムが作れるかも、と感じました。

ボイスチェンジャーの授業では、てっきり女性かと思っていた女性アバターの先生が、実はボイスチェンジャーを使った男性であると分かり、ビックリしました。
これで分かるように、ボイチェンとアバター文化とは親和性があるわけです。
日本人男性は女性アバターを使うことが多い一方、その他の国の男性は女性アバターをあまり使わない、という話も面白かったですが、セクシュアルマイノリティーの方々にとっては、仮想空間ならばアバターも声も好きなように変えられることで、自分に合った生活が送れる、という話も実に興味深かったです。

イベントについての授業では、先生が「やりたいものがあるならばやれば良い」と熱弁。
確かに、仮にカフェイベントをやりたいとしても、リアルと違ってほとんどお金は掛からないわけで、何より、失敗は経験になる。
VRChat内の自由さを改めて感じる授業となりました(一方で、Quest不可イベントも結構多いのが悲しいところです……)。

コミュニケーションの授業では、VRChatの世界は話す人、聞く人はいるけれど、話を回す人が少ない、という話がありました。
アバター同士のやりとりだと、「あ、この人、何か話そうとしている」という気配を察知するのが難しいからかもしれません。

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宇宙をテーマにしたワールド巡りの授業では、私のWifiではなかなかデータが読み込めなくて、途中で離脱してしまいましたが、とても作り込まれたワールドばかりで、ワールド造りの可能性を感じました。
その日は放課後に課外授業があり、YouTubeの生配信番組に出演しました。


パソコンからじゃないと、YouTubeにライブストリーミングするのは難しいようですが(Oculus Questでもfacebookにはライブ配信できます)、また一つVRChatの可能性に触れました。

授業最終日は、VRChatの世界での創作のススメ。
先生は前日の課外授業のようにラジオをやっているのですが、それ以外にも詩を作るなど様々な創作活動をしているそうです。
確かに、今の時期にVRChatに入っている人たちは、自分でアバターを作ったりワールドを作ったりと、スペックがものすごく高いです。
まさに自己実現のできる場所と言えそうです。

今回の参加者の皆さんを見ていると、少なくない数の人たちにさらなる創作意欲が湧いているようでした。
VRChat界の動向をまとめた「VRCReady」という雑誌はBoothで、何とゼロ円で売られているのですが、結構な手間が掛かるはずなのに、作者は愛だけで取り組んでいる様子で、とても驚きました。

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そしてクラスメートの皆さん。
VRChatの世界に私より長く親しんでいる方々ばかりでとても親切で、Oculus Questで参加している私はパソコンから参加している方々と比べてやれることに制限があるのですが、Questでも見えるアバターになってくれたりしたこともありました。
困っている人がいたら、仲間として助けてくれる。
まさに本当の学校のようでした。

私立VRC学園に限らず、VRChatで知り合う方はとても親切な方が多くて、日本にTwitterやfacebookが普及したばかりの頃を思い出しました。
どちらもユーザー数が増えるに連れて、荒れてきたところがあるので、VRChatが広まって欲しい気持ちはあるものの、この牧歌的で素敵な空間が維持されるくらいで留まって欲しいところもあります。
もっとも、VRChatは、それぞれのワールド単位、イベント単位で集まるところがありますので、「荒らし」的な人が現れたら、ブロックするなり、イベントから追い出したりすれば良い。
その意味では、Twitterやfacebookよりは荒れづらいサービスかもしれません。

さて、VRの世界はまだ、アーリーアダプター段階のものに留まっている感があります。
まだまだ普及の問題もあるし、さらに言えばもっと技術力がアップする必要性もあるのかもしれませんが、私はとても豊富な可能性に満ちた存在になるのでは、と期待しているところがあります。
Oculus Questでもプレーできるアドベンチャーゲームとして、「東京クロノス」というものがありますが、この作品においてVR機器は、(まだやっていない人たちのために詳細は言えませんが)登場人物の中に入って物語を体験できるツールになっていて、ある種の工夫により、「文字を読むよりも登場人物の心情を血肉化して経験できる」というところが肝になっています。

昨今、大規模な自然災害も起きましたが、そうした理不尽な出来事に巻き込まれた方々の本当に辛い気持ちは、当事者以外にはなかなかに理解しがたい部分があるかもしれませんし、当事者の方々にとっても「そう簡単に理解されるものか」と思われるところもあると思います。
ただ、世の分断が日々先鋭化しているような昨今、もしかしたらVRによる物語体験や実写物の視聴体験を通じて、「相手方」のことをより慮れる世界線が広がっているのかもしれない。
そんなことを思ったりしています。

この間、私立VRC学園の授業で出てきたり、クラスメートに教えてもらったりしたワールドにもいくつか行ってみましたが、基本、私立VRC学園のように日本人ばかりが参加対象のワールドやそこで開催されるイベントは実はごく一部で、世界中のユーザーが様々なワールドを訪れています。
私が参加したワールドの中にも、海外のユーザーが来ているものがいくつかありましたが、何度か日本語が話せる海外ユーザーと会話をすることがありました(日本語が話せない海外ユーザーとは英語で話す形となりましたが、その際は私立VRC学園でのタロタナカ学園長と大将副学園長による英会話の授業が活きそうだな、と今となっては思います)。
ある日は、日本語堪能な韓国人3人、ロンドン生まれの中国人と、なぜか遊ぶ流れとなりましたが、日本のアニメの話をしたり、自分に合ったアバターを探す旅に出たり。
とても楽しかったです。

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VRChat内ではヘイトスピーチや差別は禁止であり、彼らも特に日本人に嫌なことをされた、とかはないそうですが、そのうちの1人が「VRChat内は差別とかありませんから」と言っていた言葉が印象的でした。

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エイジズムやルッキズムから解放された(とはいえ、アバターは可愛い女の子風のものが多いので、日本では男子校のノリ的なところもありますが)このVRChatの世界でこそ、「みんながみんなに優しい世界」が生まれる可能性もあるかもしれません。

メディアをあれこれ語る人は少なくないですが、昨今のメディア論は、メディアを語っているようでメディアビジネスを語って終わってしまっているものが少なくないように感じています。
つまり、メディアを通じてどのような世界観を目指すのか、という話にまでなかなか行き着かない。
結局、社会の進歩を牽引するものが技術である以上、メディアの進歩を牽引するものもまた技術だと思います。
このような萌芽の生まれつつある世界を提示して、拡散させることも、メディアの役割のように感じています。

今回の私立VRC学園の取り組みはとても刺激的で、この分断が進むリアルの世界で新たな可能性を示したところがあったように思います。
私立VRC学園とは何だったのか、と問われれば、改めて、VR会議の実現云々という実利的な話題を超えて、「閉塞感のあるリアルの世界を克服するための可能性に満ち溢れた新たな世界」というように言えるかもしれません。
今回の取り組みで生まれた新しい動きの萌芽やヒントはもっと突き詰めて考えて、リアルでの生活に活かしていければ、と思います。

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