VRChatの場は、ただいるだけでも良い場なはずなのに
はじめに
最近、ラジオの話をほとんどせず、VRに関するトピックスについて雑談をする場と化している #ラジオ好き集まれ集会 。
だけれど、参加者みんながわいわいと楽しく話せるのであれば、そこで盛り上がった話題を掘り下げた方が議論も膨らむので、それでも良いのかな、と思っているところです。
差別の再発明
さて、今夜は記念すべき第10回。
正確に言えば、第0回をやっているので11回目なのですが、VR空間におけるコミュニケーションについての議論が掘り下げられました。
それはある意味、こちらのnoteに書いていた内容について、さらに踏み込んだ話、と言えるかもしれません。
ソーシャルグラフについては、VR空間はかつてのTwitterやfacebookの初期のように牧歌的で親切な人たちが多いこともあり、何らかの仲間・友人的な繫がりが生まれているところは確かです。
ただ、中には「この人、ちょっと厄介だな」という人がいないわけではありません。
ブロックやミュートの機能もあるし、リアルな知り合いと比べて、VR空間だけでの知り合いは「嫌ならば付き合わなければ良い」となりがちなので、関係が消滅するのも早いかもしれません。
この時はまだ、ぼやかして書いていたのですが、理想郷的にも見えるVRSNSの世界にも、「我が強い人」「自分の思いが強い人」がいるはいて、マウンティングや差別が生まれ得る構図があるな、ということをほのめかしたのでした。
本題に入る前に私の思想の変遷をまとめておくと、当初、VRSNSの世界は、みんなアバターを着て、声も変えられるので、リアルライフにおける年齢、性別、セクシュアリティー、人種、職業、出身、門地、障害の有無、学歴、職歴、宗教などの様々な差別から解放されて、中の人の「魂」だけで他者との交流ができる素晴らしい世界だ、と思っていました。
しかし、だんだんと気づいてきたのですが、一方でそこでは、「何かできる人が偉い」みたいになりがちで、美しいアバターを作れる技能があるとか、自分の主催するコミュニティーに多数の人を集められるとか、が一つの価値基準になる傾向もありました。
その中で昨今懸念されるのが、そういう人が「私は分かっている」みたいに上から目線になり、「できない人たち」を「差別」するという、車輪の再発明ならぬ「差別の再発明」が生まれる構図です。
トランプの「大富豪」(ゲームの方ね)ではないけれど、物事というのは、条件や状況が変われば(いわゆる「革命」で)一気に価値基準が逆転するもので、「自分は差別とは無縁だ」と思っていた人が一瞬で加害者や被害者になり得る。
今はまだVRの世界は、一部のイノベーター、アーリーアダプター層しか触れていないので、まだまだピンと来ない話だと思いますが、例えば50年後には空気のような存在になっているかもしれず、その前段階には上記のような「差別」の構図をあらゆる人が当事者、もしくは傍観者として体験することとなる未来もあり得るように感じるところがあります。
以前、AIやブロックチェーンを色々とリサーチしていた際にも感じたのですが、技術が進歩すれば進歩するほど、哲学、倫理学、法学、歴史学、社会学、経済学、宗教学……とありとあらゆる文系学問の知見も総動員しないと、生まれ出る諸問題に対処できなくなるのではないか、と思っています。
結局は「差別」というものは、価値観の「革命」がいつでも起き得るということを前提に、自らの問題として考え続けなくてはならないものなのでしょう。
さもなくば、いくらでも再発明されてしまうのだろうと考えています。
VRChatの中って、コミュニケーションが足りていないですよね
そんなことを以前から考えていたところ、今夜、ある参加者の方から「VRChatの中って、コミュニケーションが足りていないですよね」という問題提起が出ました。
ある種の話題についてVRChat内のイベントなどで話す時、意見が割れることがある。
そこで、双方で考え方に違いがあることを受け止めつつ、歩み寄り合う形で議論を深化させる、というのがリアルの場ではよくあることなのだけれど、それがなかなかに難しいところがある。
VRChat内でのイベントはだいたい1時間程度、というところがあり、少人数の雑談会的イベントであっても、その日のテーマに関する意見をみんなが一通り話すだけでそれなりの時間になってしまい、お互いに他の参加者の意見についてどう思ったか、と考え方をぶつけ合う時間がなかなか取れない傾向があります。
なので、「この人とは若干意見が違うのだけれど、自分の考えをぶつけても良いのだろうか」という間合いを推し量る前に時間切れとなってしまう。
では、次回に持ち越しか、と考えると、次回イベントでは新テーマに変わっているし、参加者が次回も来てくれるかは分からない。
結局、消化不良で終わり、お互いの考え方を受け止めた上でより深い議論をするところまでは行きつかない。
少なくとも現在のVRSNS界ではそんなところがあるのでは、という問題提起でした。
まだ回答が出せていない
正直に言うと、私にはまだその回答が出せていない状況です。
ポンと頭に浮かんだのは、「時間が解決するのでは」という思いでした。
同じ人たちが集まる定期イベントで、一歩ずつ参加者同士、お互いのものの考え方や、議論する際のスタンス(攻撃的に自分の意見を押しつけてくることはないか、など)を把握した上で、自分の意見を投じてみる。
その積み重ねで、お互いの理解度を高めるしかないのではないだろうか、と思いました。
ただ、それにはやはり時間がかかる。
そんなに特定の人たちが定期的に、かつ、十分に議論できるだけの少人数で集まれるというのは、相当に稀なシチュエーションではないだろうか。
そんなシチュエーションを待っているうちに、1人抜け2人抜け……イベント自体が先になくなってしまうのではないか。
そう思うところもあり、「時間が解決するのでは」というのは必ずしも万能な解決策とは言えないな、と感じています。
今夜の会では、先程の方とは別の参加者の方が「VRChatの場は、ただいるだけでも良い場なはずなのに」とおっしゃっていました。
ある意味、その言葉が一番本質をとらえている話のように思いました。
おわりに
#VRChat 空間内で、人はどこまでお互いを理解しようとしつつ、議論を深められるのか。
もしかすると、「ラジオ好き集まれ!集会」は、一つの社会実験の場なのかもしれません。
次回は18日日曜21時から、で仮置きしていますが、参加予定の方のご都合で、平日開催となる可能性もあります。
この話の続きになるかもしれないし、全く別の話題になるかもしれないし、その場の空気感で話す内容が決まっていきます。
もしご興味ある方は、下記のTwitterをチェックいただければ幸いです。