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VR体験者だけでVR空間における哲学とビジネスを語らった夜

この文章は、VRミステリーアドベンチャーゲーム「東京クロノス」、映画「カメラを止めるな!」の構造に関するネタバレ的な部分が含まれているので、読みたくない方はご遠慮ください。

はじめに/VRとは精神的・哲学的「人間拡張」を体験する場

VR空間に馴染みのない方々からすると、ヘッドマウントディスプレーを使って入る世界での体験は、いわゆる「ジェットコースターに乗るようなものでしょ」というように感じられるかもしれません。
いわゆる、一時の刺激や興奮を得るためのゲームやアトラクションの類いでしょ、という。

それはある意味では正しいのですが、私も実際に半日常的にVRを体験するようになってから、それだけではなく、ある意味、精神的なというか、哲学的な意味での「人間拡張」を体験する場になっているのだな、ということを感じるようになりました。

1.「Rez Infinite」で知った3次元の空間認識とカミーユの気持ち

元々、本業的な関心もあって以前から、VRの動向はウォッチしていたのですが、(それなりの出費をする)PS4とPSVRを買ってまでして体験したのが、VRシューティングゲームの「Rez Infinite」。

空中(宇宙空間?)を浮遊する主人公が、前後左右上下の3次元のあらゆる場所から襲ってくる敵を撃っていくシューティングゲーム(さらに細かくいうと、「TPS」という第三者視点でのシューティングゲーム)なのですが、これまでいわゆる2次元というか、平面のテレビに映った世界(ゲーム空間、もしくは、仮想空間)で物事をとらえていた自分にとっては「Rez Infinite」を通じて、「他者は前後左右上下あらゆる場所にいる」という、(現実と同じ)「3次元」の状況を初めて、(ゲーム空間、もしくは、仮想空間で)体験することになりました。
宇宙空間で視野に入ったり気配を感じたりした敵を撃つ、というのは、例えば、ガンダムシリーズでアムロとかカミーユとかのニュータイプがやっていることなのですが、それを追体験しているような感覚を覚えました。
「ああ、ニュータイプはこんなふうな感覚を感じて敵を撃っていたのだな」という。

2.「東京クロノス」で知った「物語体験」においての「人間拡張」

というわけで、「Rez Infinite」で「3次元あらゆる方向に他者がいる」という「空間認識」を体験した私ですが、次に感じたのは、「物語体験」においての「人間拡張」でした。
きっかけは、VRミステリーアドベンチャーゲームの「東京クロノス」。

1年前に買って、しばらく放置していたOculus Questをコロナ期に久々に手に取った際、同じく序盤だけ体験して放置していた「東京クロノス」を、「今ならずっと自宅にいて時間もあるし、クリアできるのでは」と思って再開しました。

ここから先はネタバレ的な話になるので、読みたくない方はご遠慮いただきたいのですが、「東京クロノス」は同じストーリーを2周することで、「真のエンティング」に到達できる物語構造となっています。
そして、1周目は主人公目線で、2周目は主人公目線の合間にたびたび、他の主要登場人物たちの目線でストーリーを展開する形となっているため、様々な出来事やそれぞれの登場人物たちに関するそれぞれの思いを多角的に知った上で、最後の選択肢を迎え、ラストシーンに到達する構造となっています。

VR空間にいると、前後左右上下、あらゆる場所にいる他者のことは目に入りますが、唯一、「目」のある場所、すなわち自分のことだけは、鏡でもない限り見ることができません。
ただそれが、ストーリーを2周し、2周目で別の登場人物の視点からも主人公を見ることで主人公自身のことも客観的に見えるし、かつ、それぞれの登場人物たちの抱いた感情も主観的に感じることができる。
そうか、これが、「中の人」になる感覚の強いVRだからこそ体験できる「物語体験」なのか、と感じた次第です。

もちろん、「同じストーリーを、別の目線で2周する」というのは、推理小説(文字だけで表現する小説は「1次元の物語体験」と言えるでしょう)などでもあるし、これまたネタバレとなりますが、ヒット映画「カメラを止めるな!」(画像を使って表現する漫画、映画、テレビなどは「2次元の物語体験」と言えるでしょう)もそういう物語構造でした。

VRになってようやく人類は「3次元の物語体験」をフィクションの中に獲得するわけですが、「東京クロノス」はストーリー上もタイムリープして2周目を体験するので(2周目は、ほとんどの登場人物たちは気づいていませんが、1周目を体験してきたこそ存在する描写も出てきます)、ある意味「4次元の物語体験」と言えなくもありません。
そしてラストシーンは、ここまでプレーしてきた自分が一番表情を見たい人の「中の人」になっているからこそ、自分だけがその表情を見られない形で幕を閉じます。
あとは視覚ではなく、頭の中で思い描いてください、と。
ある意味で、VRのことを知り尽くしているプロが作っているからこそできる演出だった、と舌を巻いています。

で、ここで思ったのですが、昨今世界の「分断」が進んでいる、と言われます。
分断は、自分とは異なる属性の人との相互理解を拒むことで生まれる、と言えるかもしれません。
「東京クロノス」の登場人物たちは、ある事件をきっかけに分断が生じているのですが、ストーリーを2周するうちにそれぞれがそれぞれの心情を改めて理解し合い、大団円に向かう形となっています。

理想論かもしれませんが、これまで説明してきたような「VRを通じた物語体験」を活用することで、現実世界でも、分断された人たち同士がお互いの心情を理解し合い、分断を解消する方向に導けないだろうか、と希望するところがあります。
これこそがまさに精神的・哲学的な意味においての「人間拡張」ではないか、と思う次第です(余談ですが、昨今のメディア関係者の方々のメディア論は基本、「メディアビジネスをどう成り立たせるか論」に過ぎなくなっていて、こういう、テクノロジーを活用した物語体験とか、相互理解とかの話になかなかならないのが不思議です)。

3.そして今夜の「第8回ラジオ好き集まれ!集会」

実はここまでは前段でして、これまで書いてきたことを前提知識として、今夜の #ラジオ好き集まれ集会 で参加者の皆さんと語り合い、その中で話しながら考えたことを記したいと思います。
今回、話題になった主なトピックスは以下の通りです。

文化系トークラジオ Life
2.5次元
AMはトーク、FMは音楽
おきゅたんbot
VRビジネス

文化系トークラジオ Lifeについては、参加者の方がその番組において、「2.5次元」という単語の別解釈が出てきて、その中でVRやARの話題になっていた、ということを教えてくださいました。

「2.5次元」というと一般的に、2次元の漫画原作などを、3次元の存在たる人間がミュージカルなどで再現するもの、という定義になっています。

ただ、その番組で言っていたのは、実はリアルな場での知り合い同士のトークも、実はリアルの3次元の存在として話し相手を見ていなくて、「この人はこういうキャラクターだ」と実物の話し相手の様々な要素を削ぎ落とした省略化された存在として認識しているのに過ぎないのではないか(省略化された存在として認識しているから、3次元ではなく、2.5次元とか数が減る)、ということだったそうです。
言われてみて、「あ、確かにそんなところはあるな」と思う部分もありました。

そんな話を受けて思ったのは、このVRChat上の「ラジオ好き集まれ!集会」のようなVRSNSでの参加者との会話は、相手の話す間合い、声の雰囲気、ゼスチャーなどそれぞれの要素から相手とのコミュニケーションが、Zoom会議と比べてはるかに取りやすい、ということでした。
リアルの場でのオフラインの会議の方がそれは現時点では、相互理解が進みやすいのだと思いますが、その次に相互理解が進みやすいのは、Zoom会議ではなく、VRSNS会議だよな、と(もっとも、Zoomは2次元の平面で、VRをリアルの3次元の一歩手前で2.5次元と考えれば、Zoomより優れた体験になるのは当然なのですが)。
この辺り、「VR体験者」は多くを語らずして理解し合えるけれど、それ以外の人たちにとってはイメージが湧かない感覚なのかもしれません。

以下は今回のnote投稿の流れにおいては余談的になりますが、ラジオの聞き方として、FMは音楽を聴くのに適しているけれど、AMはトーク。
車を運転中に聞くにはAMよりFMを聴くだろうけれど、今はラジオは自宅でradikoで聴いているからAMも聴いているのかな、という話をしました。
また、今、VRSNSをやっている人たちは文章、アバター作り、イラスト、漫画など様々な創作意欲が盛んだな、という話も。

とても牧歌的で素晴らしい世界観だと思うけれど、ただ一方で、それ以外のマスな方々が入って来ないと、このVR世界は発展していかないし、お金を生むものにならない(VRChatも現在はマネタイズの仕組みがないので、運営会社の資金がショートするとなくなってしまうかもしれません)。
やっぱりお金が入って来ないと発展は厳しいのではないか、という話になりました。

今はだんだん、Vtuber事務所なんかも出てきて過渡期になっていて、その中では事務所系ではなさそうなVtuberとして「おきゅたんbot」が健闘していて、配信での言葉の回しや撮影技術などなかなかにハイスペックな人たちでグループを組みつつ、有料会員制度やスパチャ(投げ銭)でマネタイズの萌芽を作りつつあるけれど、生んでいる額的な推測では、「本業でやるにはなかなかに難しいと想定されるので、副業としてやっているのではないか」という勝手な議論をしていました(「中の人などいない!」と怒られそうですが)。

おわりに

これまで、VR空間に関する思索の過程は、以下のように折に触れてnoteに書いてきました。

ただ、色々と書いてきても、「VR体験者」ならば肌感覚で分かる「人間拡張」の感覚が、それ以外の方々にはなかなかに伝わらない、という部分において正直、もどかしさは抱いています(もどかしさを抱きつつも、本音を言うと、そんなには焦ったりなどの感覚はないのですが)。

俗っぽいことを言えばビジネスチャンスの萌芽だろうし、もう少し高尚に言えば人類がより精神的に(哲学的に)豊かに暮らすためのヒントなのだろうけれど、なぜみんなここに来ないのだ、と。

人工知能の開発において、スクウェア・エニックスの三宅陽一郎さんは哲学の知見を盛り込んで進めていますが、先端技術をどう活用してどのような社会を生み出していくかについては、人工知能に限らず、哲学、倫理学、宗教学、歴史学、社会学、法学、心理学、文化人類学……と様々な文系学問の知見を総動員することが求められています。


VR空間が、リアルとは異なる、と同時にリアルに内包された、一つの世界や社会を生み出している中では、ますます哲学的な考察が必要になるでしょう。
いずれは来る社会だし、概念であるので、焦ることはないのですが、可能ならばもっと多くの方々に早くこの世界を感じていただき、早く哲学的な考察を深めて集合知を作っていきたいところ。
率直なことを言うと、一般の方々のVRへの関心度合いを見ると、まだまだ時間が掛かるだろうな、という感覚ではいますが。

ただ、12月4日には「東京クロノス」の続編の「アルトデウスBC」も出ますし、状況も一歩ずつ変わっていくのだろうと思います。
とりあえず私は引き続きVR空間に身を投じる中で感じた物事をnoteなどにアウトプットしながら外部発信しながら、周囲からじわじわとムーブメントが広がっていくのを待つしかないのかな、と思っています。

とりあえず、来週も日曜21時から「ラジオ好き集まれ!集会」は開催予定なので、ご興味ある方はいらしてください!

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