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幸せな居場所とは? コミュニティー論再考

昨夜は下のリンク先のイベント「幸せな居場所の発見旅 #1」にオンライン参加。
このコロナ期、「コミュニティーの重要性」みたいなものに改めて関心を抱き、リアルもバーチャルも含めたいくつものコミュニティーにオンラインで参加していたのですが、その思索の過程において何らかのヒントをいただければ、という思いがあり、お邪魔した次第でした。


今回、紹介された「クラフトハウスばく」は元々、「Visual Art Club」(VAC)として始まったのですが、今はVisual Artというよりは「心地良いコミュニティー空間」として人々が集まっているイメージがあります。
毎月1回、「土曜みな食」というみんなで夕飯を食べながら、ゲストが自分の話をする、みたいなイベントをやっていて、トップ写真はちょうど1年前の「みな食」に参加した時の料理の写真です。

私は昨年から訳あってマーケティング的なことを学び、ビジョンがミッションがKPIが、みたいな世界観に触れるようになったりもしたのですが、そういうのも他人を説得する「ためにする」技術というか、失敗した時に「僕らちゃんと論理立てて方向性を決めて動いてきたので、やったことに間違いはなかったですよね」というエクスキューズ的な存在理由も感じてしまうところがあって、そもそも心地良いコミュニティー作りって、理念とかトップダウン的な思想も大事ではあるのだけれど、それよりも現実には、そこに集う人たちのあっちこっち向いているベクトルをどう包摂するかという臨機応変なDJ的能力が必要であり、ボトムアップ的な存在なのだな、ということを今回のイベントで、改めて感じたところがありました。

今回の参加者の皆さんはとても面白い人たちが集まっていたので、その後の感想戦もそれぞれの鋭敏なセンスあふれる話題が次々出てきて、とても勉強になりました。

結局は「幸せな居場所」って何なのか、どこなのか、という話になるわけですが、ある参加者の方が発言されていた「安心・安全×役割」というのは同感でした。

このコロナ期、在宅勤務だったこともあって9月末までは(生活必需品の買い出しなどを除き)ずっと家に引き籠っていましたが、仮にマレーシアに移住したとして同じような状況になったら、「これ、何の生きがい的なものもなく、海外移住しても、何の面白味もないのでは」と思ったもので、その場所で何らかの役割を担えることが生きがいになるように感じたものでした。
その一方で、僕が #VRChat 上でやっている #ラジオ好き集まれ集会 のように、ともかく何かやってみることで見えてきたり、生まれてきたりすることもあるように感じました。


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