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ままならない事。どうしょうもない事。
この世で起きることの大半は、ままならない事ばかりである。
ずっと夜が続いて欲しいと強く願おうが、時間が経てばカーテンの隙間からは朝の光が顔を出すもんだから、僕達はどうする事もできないのである。
どうやったって過去は変えられない。最近「東京卍リベンジャーズ」なる漫画が流行っているけれど、やっぱり誰もが1度は過去を変えてみたいと思ってしまうものである。
僕にも、「あの時こうしてれば今が変わっていたのかもしれへんなぁ」と思う事がたまにある。
中学3年生、皆は高校受験に必死だった。いや、気づいていないだけで、もっと前から皆必死だったのかもしれない。僕は興味のない勉強が心の底から苦手だった。苦手なものに精を出す事からひたすら逃げていた。逃げるための理由を思いつく事だけは得意だった。
あの時きちんと未来の自分と向き合っていれば、なんてどうしようもない事をたまに思わないでもない。けれど、そんな自分だから出会えた事も沢山あるはずで、どちらが正解なんて事はない。ただあるのは今という現実だけである。
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たまに、今の自分の置かれた現実に嘆く人にむかって
「それもこれもお前が選んだ人生や」
と言う人がいる。そして僕も言われた事がある。
僕はこの言葉には同意見である。そしてごもっともだと思う。のと同時に、少し悲しく思う。
人にはどうやったって一歩踏み出せない時がある。この世で言われる「普通」がどうやっても自分の中で「普通」では無い事が沢山あるものである。
皆辛いなりに頑張っているのだからお前も頑張れるはずだ。そんな言葉が心の底から嫌いだ。
これも、「忍耐」や「頑張らなければならない事」から逃げているからなのだろうか?
生まれた瞬間からすでにスタートラインが皆違うように僕は思う。正しく平等に引かれた白線の内側で整列し、「位置について〜よーいドンッ」で人生はきっと始まってはいない。
みんな走り方もスタートラインも違うのに「普通」や「皆と同じ走り方」なんて言われても困ってしまうのは当たり前である。
けれど時間だけは同じように流れ、同じように歳を重ねているように見えるもんだから、この歳になればこれくらいは出来るだろうと平均を出されてしまう。その波に乗れなかった人達は、頑張らなかった人達と言われてしまう。残酷である。
この世は、ままならない事ばかりである。どうしたって朝がやってくる。その前にほんの少しだけでも心が軽くなれば、手放しで笑えれば。本当だけで生きていくにはどうしたって辛い事ばかりである。
今が辛いと思う人たちが明日も生きたい、生きてみたいと思える世の中になって欲しいと心から思う。
そして、そんな人たちに朝が来るその前に、少しの勇気と笑顔が訪れるように。
フラワーカンパニーズ / 深夜高速