赤い彗星の
ヤンくんは中国人。
筋骨隆々の185㎝。
小学五年生だった。
…誤字ではない。フィクションでもない。
ヤンくんは中国人。
筋骨隆々の185㎝。
小学五年生だった。
コピペでもない、ちゃんと打っているのだ。
当時、私の暮らしていた地域は、市政が、
「金がない奴ぁうちにこいよ!」
とヤケクソの親分肌を発揮し、住居と助成金目当てに貧しい外国人が大集結。
晴れて小学校は大半が中国人となった。
朝礼では「ニーハオ」、終礼では「ザイチェン」と挨拶することを強制され、運動会では中国伝統らしい龍の模型が舞い、なぜかピータンが振る舞われるという、よく言えば〈インターナショナルスクール〉、普通に言えば〈植民地〉という有様だった。
小学校では、学年と年齢が一つ二つ合わない生徒がチラホラ見受けられた。
それはおそらく、助成金の調整のためだった。
親が入国時に子供の年齢を告げるのだが、それは完全に〈自己申告制〉であり、なんら証明書の類は必要なかったと聞いたことがある。
より多く、より長く援助が受けられるように、子供の年齢を〈再設定〉していたのだろう。
小学二年生だった私は、同級生に10歳や11歳が紛れていることを、
「ま、そんなものか」
と、大して気にも留めていなかった。
しかし、五年生の先輩であるヤンくんは、どう見ても大人だった。
黒毛混じりの乱雑な金髪に、龍のプリントがされた真っ赤なトレーナーを着て、校内を闊歩するヤンくん。
背丈はどの教師よりも高く、ビルドアップされた上半身は服の上からも分かるほど肩の筋肉が盛り上がっており、すれ違うと掛け値なしで自分の二倍以上の大きさに見えた。
注意してきた教師の腕の骨を折ったとか、乗り込んできた中学生の不良五人を半殺しにしたとか、猛々しい噂がさまざま飛び交っていたが、そのどれもこれもが信憑性しかなかった。
「でも、下級生に手をかけないんならいいじゃないか」
二年生の私は〈めちゃくちゃ怖いけど実害ナシ〉として呑気に構えていた。
だがある日、暗雲がたちこめる。
小学校では例年、〈ふれあいマッチ〉という他学年と交流するイベントが催されており、一年生は六年生と、二年生は五年生と、ドッヂボールで遊ばされることになっていた。
私のクラスは、ヤンくんのクラスと戦うことになった。
校庭には、明らかにサイズが合っていないパツパツの体操服を着たヤンくんが立っていた。
ズボンが股間に食い込み、ほとんど剥き出しの太ももは競走馬のように逞しく筋肉が浮き出ている。
面白かったが、全然笑えなかった。
ほんとにやるのかよ、と担任の方をチラリと見たが、教師は、
「じゃ、はじめまーす。上級生はハンディとして利き腕じゃない方で投げるように」
と、通り一遍の台詞を述べると、開始の笛を吹いた。
蜘蛛の子を散らしたように白線の内側で逃げ惑う同級生たち。私は運良く外野に任命されていた。
うわぁあぁああ!!
いやだぁああぁ!!
ただのドッヂボールとは思えない悲鳴が校庭に響き渡る。
五年生が黙ったままボールをヤンくんにパスした。
…ビュッ
ズバァアン!!
雷鳴のような豪速球だった。
腹にモロに食らった同級生はその場にうずくまり、動こうとしない。
外野にボールが転がり、またヤンくんにパスが渡った。
ビュッ、ズバン!
ビュッ、ズバァアン!!
ヤンくんは無言のまま、一人一人確実に、容赦のない弾丸を叩き込んでいく。
二年生たちは死を待つだけのか弱いウサギの群れとなり、〈ふれあいマッチ〉は屠殺場と化した。
そのうち、一匹のウサギがついに泣き出してしまった。
つられて泣く者、喚く者、笑い出す者まで現れ、半狂乱の中、私も気づけば笑っていた。
「なぜ笑うのか」という研究は、長らく学者達の間で続けられているが、いまだに解明できない部分が多いそうだ。
少しだけハッキリしていることは、ショックを和らげる効用があるのではないかということで、恐怖に直面すると、最初は叫んで逃げ惑ったり命乞いをしたりするが、これはもうどうしようもない、受け入れるしかないと悟ると最後にはアハハハハと笑ってしまうのだという。
もしもそんな学者が見てくれたのなら、このドッヂボールはとても実りのあるサンプルだったのではないかと思う。
圧倒的な強者に生殺与奪を握られた私たちには、もはや抵抗する意思はなく、「できるだけ痛くない部分に当ててもらおう」と顔面を抱き込むように庇うことが精一杯だった。
ただ、途中で教師が、
「こら〜、お前らちゃんとやれ〜」
とヘラヘラ言い放った時には、本当に殺してやろうかと思った。
そうして、ドッヂボールのルールもヘチマもなくなってきた頃合いで、それは幕を閉じた。
五年生の勝ち!とのことだった。
その日の帰り、私は一人で遊歩道を家に向かって歩いていた。
目の前に人影が見えた。
金髪に真っ赤なトレーナー、ボロボロのナップサックを肩にかけた大男。
ヤンくんだった。
私は何を思ったか足取りを早めて、彼に追いついた。
そして、こんにちは…と、恐る恐る声をかけてみた。
「ん…?ああ、コンニチハ…」
片言の残る日本語で、たどたどしくも挨拶を返してくれたヤンくんは、もしかしてそんなに怖い人ではないんじゃなかろうかと思った。
「僕は二年生で、今日一緒にドッヂボールをしたんですが」
「ああ。で、なに?」
私は調子に乗って聞いてみた。
「あの…ヤンくんって、年はいくつなんですか?」
「じゅうはち」
衝撃的な言葉が返ってきた。
私が理由をたずねると、
「母親が、お前はバカだから小学校からやり直せって」
ヤンくんは本当にやり直させられたのだと言う。
リアル工藤新一である。しかも薬も飲まされず、身体は大人のままで小学生だらけのクラスに放り込まれているのだ。グレない方がおかしいし、一応ちゃんと登校しているなんて途方もなく強靭な精神力である。
入国する時に年をわざと間違えて書かれた。
ヤンくんは私にそう説明すると、
「…もう行っていい?」
と、静かに去っていった。
その後、中学にヤンくんがいたという話は聞かない。
(終)