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セルフ・カッティング・マン
散髪を行う最も簡単な方法は、自分で髪を切ることだ。
この意見は、そのバカバカしいほどの単純明快さに反して、私の知る限りでは驚くほど採用されていない。
私達の多くは(私もかつてはそのうちの一人だった)、散髪という目的に対して、「美容室に行く」という複雑な手段を取る。
どうして、あえて難しい方法を選ぶのだろうか?
なにも、お金の節約をしようって話じゃない。貨幣の価値が流動的だなんてことは、別にビジネススクールに通わなくたって誰だって知っている。5000円札一枚で、A街では美容室に行けるし、B街では寿司一貫しか食べられないし、C街では人殺しを依頼できてしまう。そんな実体のないものを尺度にして節約やら浪費やらあれこれ述べたとて空虚なだけだ。
かといって、時間を節約しようって話でもない。
だが正直に言って、これについてはセルフカットを始めた当初は内心期待をしていた。
私個人の例で恐縮だが、美容室に通うのに行き帰りにかかる時間を1時間、施術を1.5時間、そこに事前の予約などに伴う時間を0.5時間としても計3時間かかる。
これが、バスルームで自分で切ればせいぜい0.5時間で全てが終わる。
一ヶ月に2.5時間の短縮は年間で30時間、あと40年生き永らえるとして1200時間の節約になる。これは勝った(何に?)とタカをくくっていたところ、セルフカットの出来栄えに落ち込む時間を考慮していなかった。
単刀直入に言って、「斬新じゃ済まされねぇぞ…」の感があり、初回からしばらくは鏡に自分が映るたびにその場で軽くうずくまるなどを繰り返して、普通に1200時間以上は累計で落ち込んでいたと思う。いっそC街の殺し屋に依頼しようかと思ったレベルだ。
そんな、襟足がカブトガニのようになっている自分でも胸を張って主張できる「セルフカットしてよかったこと♬」がある。それは主に、心理的コストの削減だ。
ヒトが美容室に行こう!と決めた時にまず行うことは予約だろう。予約とは要するに"約束"である。これが厄介なのだ。
"約束"というものは、とりつけるのは簡単だが、守るのは途方もなく難しい。あのメロスさんですら心が折れそうになったのだ。
「残された刻はわずか、美容室に向かって走る。俺は信頼されている、俺は信頼されている!間に合う間に合わないではない、信頼に報いるため、ただそれだけが重要なのだ…!!」
こんなクライマックスが月に一度もあるのでは、さすがのメロっさんでも親友の処刑を「ま、しゃーないわな」で投げ出すだろうし、凡人の私にとって到底耐えられる負荷ではないことは想像に難くない。
もちろん、いっそ予約なしで飛び込んでしまうという線もあるだろう。
しかし、本当に純粋に「突然思い立って美容室に飛び込む」なんてことが可能だろうか。お昼は何を食べようかで頭がいっぱいの時、日が沈むのが早くなったたなぁなんて季節の移りに思いを馳せている時、あなたは突然美容室に飛び込めるだろうか?
私が思うに、それは「髪を切る必要があるぞ」と普段から強めに思っているからこそ実現できることであって、その時点で既に「美容室を見かけたらとりあえず飛び込もう」という自分との"約束"が発生してしまっている。メロっさんはもうアップを始めてしまっているということだ。
どうせ走り出すのなら普通に電話で予約した方が相手にとっても色々と便利なのは確実だし、そもそも良識ある大人として相応しい行動だろう。
しかし、「突然思い立ってバスルームに飛び込むこと(そして髪を切ること)」なら出来る。つまり"約束"という連鎖地獄から逃れる術はセルフカットしかないのである。
上述のような多大な心理的コストから解放される清々しさがあれば、少しばかり髪型がカブトガニになるなど物の比ではない。「オラ、なんかワクワクすっぞ…!」とにっこり笑って一蹴できるのである。
このように、セルフカットとは単なる日常の美容習慣ではなく、自己成長を促す一種の精神鍛錬なのである。
生きている以上、誰だって失敗することはある、しかし、時間が必ず解決してくれる(但し、髪が伸びる以上)のだ。
世の人には好きに思わせておけば良い。失敗しても笑い飛ばせる自己肯定感を養うことができたのなら、それを成功と言わずして何と言おうか。
なお私は、さすがに襟足だけでも手直ししてもらうべきかと考えているところだ。