自分と話すとたまに盛り上がりすぎて、現実に帰って来れなくなることってあるよね【ながすなりの日記】
こんな記事を読んだ。
これは有料登録してる人じゃないと見られないから多くの人には読めないだろうけど、まぁ読まなくてもいい。
タイトルのように性格診断のことに書かれている。正確診断の記事なので性格診断のことについて書かれているのは当たり前だが、その市場規模やよくある誤解について書かれているのは結構勉強になった。
その市場規模が3000億円というのだからおどろきだ。なんとアニメ制作業界が大体3000億円というのだから、その大きさもうかがえる。
ふと私は疑問を覚えたのだ。なぜこんなにも性格診断が人気なのだろうか。記事には核心に触れる答えはなかったように思うが、これについてふんわり考えていた。
一番の仮説というかこれしか私は思いつかなかったが、みんなきっと自分を知りたいんだろうなと思う。
夫婦のことを一番近い他人とよく言うけれど、私は自分が一番近い他人だと思っている。身体感覚は持っていながらも、自分も知らない自分がいるし、なんなら鏡を見なければ自分の顔を多分一番見ない。
ツールを使わないと自分の姿を視認することができないというのは、個人的にはなかなか、通常の他人よりも他人っぽいなと思ってしまう。
ちょっと特別な他人という感覚が微妙にちょっとあるのだ。これが私の他人事性というか客観視しすぎのもとにあったりするのかもしれないけれど、そんなことはどうでもよくて、やっぱり私は一番近い他人は自分だと思っている。
だからこそ我々は自分を知りたいのだと思う。自分を知り尽くしているのなら、きっと性格診断などする必要がない。知り尽くしておらず自分の知らない一面を知りたいから性格診断というツールに頼る。
ほら。ツールを頼って自分を知るというのはやっぱり他人みたいだ。私たちは言語というツールを使って他人を知る。おんなじことを自分にもしている。
でも私は懐疑的なのだ、巷で噂の16personalitiesを考えているが、自分という他人を知るために16個のただの枠に収めるだけで満足なのだろうか。
自分を知るためにツールを使って16個の枠に分類する。これ自体は自分の属性を知るうえで有用だとは思うけれど、人間の複雑性はその範疇に収まらないのは多分みんなよく知っているはずだ。
だから自分を知りたいのなら自分ともっと対話するべきだと思う。人によっては考えることが苦手という人もいるけれど、自分と対話するのならそんな苦じゃないと思ってる。
自分が何が好きなのか、何が嫌いなのか、何をしたいのか、何をしたくないのか。何かをするたびに自分と対話して、自分との理解を深めていく。
ほら。やっぱり自分は他人だね。対話することでしか理解を深められない。他人とも対話をすることで相互理解を深める。自分は自分であり、他人なんだろうね。波動の性質も粒子の性質も持つ電子のように、自分は自分と他人という二軸をきっと持っているのだろう。
だから私たちは自分の中の自分と自分の中の他人を対話させることで、少しずつ一歩ずつ他人から自分の領域へ引き込んでいく。そうしていくことで自分への理解は深まるんじゃないかな?性格診断はあくまでツールで、絶えざる自己との対話で自分を理解する必要があるんじゃないかなぁなんて思って始まる今日一日はなかなかに悪くない。
これって日記なのかな?でも日記なんて個人が描きたいこと書けばいいだけだから、これも日記でいいのか。朝やる日記も珍しい気がするし。
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こんなことやってます。気になったらぜひ読んでみてください。最新は福島です。テンションが違いすぎて温度差で風邪をひくかもしれませんが、どちらも私です。
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