ヤマト2202の違和感
ヤマト2199でヤマトを好きになり6年くらい経つ。旧作も見たしサントラやプラモデルにも手を出して、ヤマト沼にズブズブだ。2202の波にも乗って楽しみたいので映画館に見に行って応援しているつもりだ。けれど一章のころから、ダイジェストを見ている感覚が拭えなかった。なにかスムーズじゃない気がした。その理由がずっと分からなかった。見る回数や想像力が無いからかもしれない、と思っていたけれど、六章でついに……スクリーンから目をそらしてしまった。
まず、ダイジェストのように感じるのは、物語全体としての目的、を忘れるような濃いテーマが次から次へとくるからかもしれない。
テレサに会いに行く話→波動砲について悩む話→古代と雪の話→選択についての話→選ばない!で古代と雪がめでたしめでたし。テレサに会いに行く話→ゴーランドの親子愛の話→デスラーの過去とキーマンの話→テレサに会いに行く話→縁が揃ってガトラン戦へ。
テーマが沢山で忙しかった前半。後半はガトラン戦に向かって盛り上がっていくと思いきや銀河が出て来てガトランそっちのけでAIと人間の話がはじまってしまった。(完全に話の腰を折ってる。これは別でやってほしかった。方舟的な扱いで。六章でやる意味が分からない。AI対人間が地球側で突然発生。2202冒頭のアンダロメダのあたりで張った自動化の伏線回収なのは分かる、山南さんと土方さんのかっこいいシーンとAIにはない人間の愛を見せることで盛り上げようとしているのは分かるんだけど、大帝の目になっている斉藤が銀河に乗ってないから大帝に繋がらない。視聴者に向けて話を展開している。)その一方でヤマトは大帝の過去に触れていたけど、ストーリーの軸の話なのに銀河を盛り上げすぎて影に隠れてしまった感がある。ガトランの流れをヤマトが細々と繋げつつ、ヤマト、最終決戦へ!というところでデスラー再登場、ガトランに向かっていたヤマトがデスラーに向かい、話の腰がまた折れた。今ここでその話を突っ込むの?!キーマンがやっぱりヤマトに戻るってなった時じゃだめだったの??
作品全体の軸を忘れさせてしまうほどそれぞれ盛り上がりがあるなぁと思う。個別に軸があってテーマがあるから忙しい。これがきっと、私にダイジェスト感を残す要因なんだろうな。話が30分のテレビ放映になる事を意識した作りなのかな。
あと、設定を間違えて受け取られないように、と親切丁寧に、そして完璧に作ろうとして、視聴者の想像力の介入を意識していない、気がする。想像で補えばいいところを絵と台詞で説明してくる。作り手が、予想した反応を視聴者にさせたいという作りで少し窮屈。同調して楽しみたいタイプの人には良いかもしれない。
銀河のコスモリバースシステム、エレメント無いのになぜ攻撃を否定する意思みたいなものがあるのかが気になってしまう。
脚本なのか監督なのか、私の感覚との相性が悪いのかもしれない。2202のストーリーが進むにつれて仲良く出来るかもという期待はあったけれどもう六章だ。あと一章で終わる。面白いと感じたいから面白くないと感じる理由を探してるけどそれが粗探しみたいになってしまって嫌だ。めんどくさい。自分が。ヤマト好きなあまり完璧を求めすぎてる。
七章がどうなるかまだ分からないし、もしかしたら推しがすごいことになって、キャラ萌えの私は2202最高!と叫ぶかもしれない。とりあえず今は2202の中で自分が楽しめる部分を取り出して2202を盛り上げていこうと思う。