泣く技術
あなたが最近涙を流したのはいつですか。泣くことは得意ですか。
私は苦手です。いつからか、泣くことは恥ずかしいことだという考えが自分の中に存在していました。そういう人、結構いるんじゃないでしょうか。
原因は、泣いた時の周りの反応にあると思います。兄弟喧嘩じゃあ、泣いたらその時点で負けになり、バカにされます。(え、されませんでしたか?)
小学生くらいで、泣いたら負けというのは変わらないものの、相手に罪悪感を持たせるズルい手法として認識しました。小学2年生の頃、担任の先生に怒られてどうしたらいいかわからずパニックで涙を流した時も「泣いたら許してもらえると思うな」というようなことを言われました。もう20年くらい経っているのにそのエピソードを覚えているなんて、その先生は微塵も考えていなかったでしょうね。元気にしているかしら。
その後ともだちにも「泣いたって何も解決しないよ」とか「泣かないで」なんてことを言われたし、きっと私も誰かに言ったはずです。
でも、これは間違っていたんじゃないかと今は思います。まず泣いたら感情が落ち着き、目の前の物事について冷静に考えられるようになります。少なくとも私の場合は。泣いちゃだめと頭の中で唱えて涙をこらえることに必死になるよりも確実に解決へ進んでいるはずです。
で、泣かないでと言うのは、根拠もなく泣くのを我慢しろと要求しているわけです。そしてその理由はだいたい「私が気まずい思いをするから」でしょう。泣きたいときに泣かせてくれないって、トイレや伸び、水分補給を制限させるのと似たようなものじゃないですか。
例えば、「今泣いちゃうとせっかくのお化粧が崩れちゃうから、写真を撮る1分の間だけ我慢して!」というような納得できる理由とセットで伝えるなら良いと思います。「高級なドレスに涙をつけると大変なことになるから脱いでから泣いて!」とかもあるでしょうか。ほとんどの人にはないか。
で、泣くことを我慢すると、どうしても感情を閉じ込めることになり、それは知らないうちにどんどんくすぶったり発酵したりします。時の経過とともにどんどんと厄介なものに変化していくのです。だから、ふと優しい言葉をかけられたときなんかにフタが開いて感情が溢れてくるんですね。ネガティブの爆発とでも呼びましょうか。あなたには経験ありますか。もし、感情を日頃から表現しているおかげでネガティブの爆発がないのであればそれは素晴らしいことだと思います。でも、ネガティブの爆発がないからといって、感情を適切に処理できているとは限らないでしょう。心の奥深くのさらに深くまで押しやってしまって、ちょっとやそっとの刺激では爆発しないというだけかもしれません。
心が耐えきれないようなつらい出来事を経験しながらも生き延びるために本来とは別の人格ができてしまう、解離性同一症(いわゆる多重人格)に近いイメージです。ただ、私は心理学や精神医学をきちんと学んだわけではないため、ぼんやり思っているだけで根拠も正確性もなく、ただの私の感覚でしかないので話半分に受け取ってくださいませ。
ということで、これからは泣きそうになったら我慢せずにどんどん泣きます!と宣言したいところなのですが、なかなかできそうにありません。癖というものはおそろしいですね。とりあえず、泣いている瞬間や泣いた後に目が赤く腫れているところを人に見られることに抵抗が大きいため、完全にひとりになれる場面で涙を誘発しそうな動画や小説に触れて泣く練習をしていこうかと思っています。もしうまくいったらまた報告するかもしれません。いや、元気いっぱいになってこの悩みをさっぱり忘れて報告しないかもしれません。
みなさまに素敵な号泣がありますように。