もっと自由なインプットがしたいんじゃ
「アウトプットしてこそインプットの意味があるんだ!」
いや〜言いたいことはとてもわかります。
かくいうぼくも、最近までそう思っていて、動画、ラジオ、本など、インプットにあたるものを摂取するときは、「忘れないように覚えなきゃ」とメモをしていました。
でもね、毎度毎度ここは覚えておきたいと思ったことを記録するのが最近めんどくさくなってきたんですよ。
人間は忘れる生き物だから記録することの大切さもわかるんだけど、「覚えなきゃ」とか、「この学びをどうやってアウトプットしようか」とかを考えてインプットをすると、インプットそのものを楽しめなくなるんじゃないかと思うんです。
インプットした後のことを考えながらインプットするよりも、作品を見たり、聞いたり、読んだりしたときの自分の感じたことだけに集中する方が楽しくないですか?
つまり、インプットしたことは知識なり、文章なり、何しからに昇華しなければならないという一種の縛りの中では作品を心から楽しめないんじゃないかということ。
為になるか為にならないかでこの世の作品を評価せず、そのときそのときで見たいもの、聞きたいもの、読みたいものに触れる。
アウトプットありきのインプットじゃなくて、もっと自由なインプットがしたいんじゃ。