こんちゃん(知的障がい者の一生)
ひさしく行ってなかった障がい者施設。
うちは実家が魚屋をしていたころ、納めで障がい者施設にお世話になっていました。
その当時は文化祭やほかの催しではせっせと通い、いろいろ買ったりしていました。
買うといっても
針子のふきん
牛乳パックで作った箸置き
アクリルたわし
とかで、入所者さんがせっせと作ったものを、納めをさせてもらっているので、せめてそれくらいはと買って使ったり、周りの人にプレゼントしていました。
そういえば「新鮮です」って、鶏の絞めたてのお肉なんかもあったな・・・
タイトルのこんちゃん。
こちらは魚屋さんでしばらく働いていました。
自転車に長くつで乗り、町をちゃりちゃりと走る姿が有名だったと母が話していました。
なぜか父のところによく来てたらしく・・・
「みっちゃん」「みっちゃん」と頼っていたらしい。
こんちゃんは知的障害があったらしく、身内もいないとかで・・・
雇われていた魚屋さんからとある学園(障がい者施設)に入所することになりました。
父の姉が障がい者施設で職員をしており、働きかけもあったのかな?
身寄りがないなら施設に~って、たぶん魚屋さんでも働くのが無理→生活保護→今後の生活が危ぶまれる、とかだったと思う。
たまたま今年は学園の文化祭に行こう!と前々から決めていて、日程と時間もチェック。
知り合いに声かけて、きれいになった施設を見に文化祭へ行ってきました。
昔は山の上に隔離されていた施設は、少し町からは離れますが、広々とした平野にどどーんと建っていました。
文化祭だけあり、ステージ、キッチンカー、飲食スペース、物販とにぎわっていました。
そこで偶然遠縁のおじさんと会いました。
「こんちゃん覚えてる?亡くなったんよ」
私は記憶が薄く・・・
帰宅して母に言うと「あのこんちゃん?施設に入れて本当によかったねって話してたけど・・・亡くなったんね」と。
わざわざ遠縁のおじさんが母に連絡をくれ「こんちゃんは施設で一生を終えました。幸せだったと思います。施設のみんなが家族。朝起きたら冷たくなっていて。おだやかな顔でしたよ」と。
施設入所者も高齢化。
若い方ももちろんいましたが、高齢な方が目立つ印象でした。
何人かとはお話もできましたが、会話はできたりできなかったり・・・
昔は大人(お兄さんとか)でもちょっとおかしい人がちょいちょいいて、子供の自分たちと一緒に遊んだりしてくれたものでしたが、今は分断?
あまりそういう方とかかわることってないですね。
いいのか悪いのかはわかりません。
久しぶりに施設に行って、ノスタルジックに浸り、なぜか涙もろくなりました。
生徒さん、見た目でわかる方もいれば、まったくわからない方もいます。
話し出すと「あれ?」みたいな。
せっせと面会に来る親もいれば、一切来ない親も。
今回文化祭に行ったのは別の目的もあったのだけれども・・・
それは別に書こうと思います。
こんちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。