記念日反応と金パブを飲み続ける日々の話
「記念日反応」という言葉を知っていますか?
わたしにとっての「記念日反応」は
性被害にあった3・4月と9月。
やっと9月の記念日反応から脱してきたので
このブログを書いている。
記念日反応が起こると
わたしの場合は
感情のコントロールができなくなる
些細なことが許せなくなる
という症状も出る。
そのせいで3〜4月の記念日反応では
大切なひとを傷つけてしまったり
本心でない余計な言葉を吐いてしまったりした。
それでも、それらを
「かずみんがそういう人なんじゃなくて、病気の症状がそうさせてるんだよ」
って受け止めて、そばに居てくれているひとたちには
とてもとても感謝している。
記念日反応の特にひどい日は
9月9・10日と27日(※竹内結子さんの命日)
じっとして縮こまって静かに嵐が去るのを待つしかないような状態だ。
そして
9月が大変すぎたからなのか、はたまた8月にodしたクエチアピンによる健忘か
それは分からないけれど
わたしは9・10日をどう過ごしたか覚えていない。
でも、なんとか生き延びることはできた。
次の記念日反応まで
少しでも休んで、その日に備えたい。
金パブのほうはどうだったのか。
9月に入ってから金パブの量は過去一酷かった。
主治医から
「1日30錠以内にしよう」
って言われているのに
守れたのはたった7日。
100錠超えは3回。
飲み続けることも
吐き続ける日々も
すべてが無理になって
11日、わたしは踏切から電車に飛び込んだ
幸いすべての検査で異常はなく
痛めた手と足も回復しつつある。
死ぬしか、金パブを手放す方法はないと思った。
ほんの一瞬迷ったことで
飛び込むのが僅かに遅れて
電車の側面に激突するだけで
命は助かった。
でも、そのあとも100↑を飲んでいることを振り返ると
生き残ってよかったのか、分からなくなる。
24時間170錠飲んだ日があり
飲んだあとで散々な目に遭ったのだけれど(当然)
これまでは150錠が最高だったから
記録を更新してしまった。
そのくらい、しんどい日々だった。
今までの記念日反応では
感情の嵐を人に向けていたように思う。
だから
揉め事や口論が絶えなかった。
でも今回の記念日反応は
感情をすべて内側に向けていた気がする。
金パブをこんなに飲んだのだ(9月だけで1385錠、約7瓶)、沸いてくる嵐のような感情を、自分に向けていたのだと思う。
さて、今日から10月。
記念日反応の嵐はほぼ過ぎ去ったけれど
依然としてしんどさも死にたさもあるし、
パブロンも飲み続ける日々だ。
それらが10月になったから、と良くなるとは思えない。
少しずつ着実に、「うさぎと亀」の亀のように歩を進めるしかないのだ。
劇的によくなることなんてなかなかない。
でも、必ず良くなる日は来る、ということは信じ続けていたい。
9月の記念日反応を乗り切ることができたのは
ずっとそばにいて、支えてくれた親友のおかげ。
本当にありがとう。
これからもずっと一緒に居ようね。