日記的なもの 55「マナー講師的な話」
健全な肉体には健全なる精神が宿る。
ってのを本気で信じている人々がいるし、昔の偉人さんがコレを言ったと思っている人もいる。
実際は「身に余るような欲を欲せず、健やかな精神に健やかな肉体があるべき。だが現実にそんな奴はいない」ってことが誤って訳されたものだとのこと。
まぁ、間違えて伝わるだけならまだいい方で。
問題は故意に情報を捻じ曲げて伝えてしまうことだ。
代表的なのは、国家で行われる「歴史」をゆがめて伝えてしまう話。
あ、でもこの話は今回ナシ。非常にデリケートな話になると突っ込まれるわ論争になるわでやってられん。
身近なところでのねじ曲がっている情報に、「マナー」がある。たいていは「マナー講師」なる詐欺師まがいの人が勝手に作ったマナーだ。
それゆえに、現代に伝わるマナーのどれが本来は正しいものなのかは、曖昧になっているものが多い。
「先輩に『ご苦労様』というには失礼に当たる」がバブル期に流行った間違えマナーだ。
そもそも「ご苦労様」は目下の者が目上の者に対して使用する言葉だった。江戸期の「仮名手本忠臣蔵」でも目下の者が目上の者に対して「御苦労」と言い、目上の者は目下の者に対して「大儀である」と労っている。
そう「ご苦労」とは相手を労う言葉であり、それは尊重する相手への敬意だった。
が、狂いが生じたのは明治期中期から後期にかけてらしい。とは言っても、「大儀」という言葉が使われずに「ご苦労」という言葉にすり替わっただけらしい。
恐らく一般目線では「大儀」と目下を労うのは裕福だったり雲上の人だったりするイメージがあったのではないだろうか。それが文明開化によって下層の人たちが上司となったときに部下を労うのに「大儀」が使いにくかったがために、今まで目上の人たちに使っていた「ご苦労」を目下の人たちにも使っていったのではないか。
とどのつまり、明治期以降では「ご苦労」は先輩から後輩へと同時に後輩から先輩へと同様の立場で使われていたということだ。
というようなことを、明海大学の倉持益子氏が研究結果として書いている。
http://urayasu.meikai.ac.jp/japanese/meikainihongo/16/013kuramochi.pdf
この流れは、恐らく1980年代初期まで保たれていた。
が、ここで日本がバブル期に入り、またベビーブーム世代の就職期と新入社員の青田買いが重なり、より良い会社に選ばれるための「マナー講座」がブームとなる。
多分、これが完全に「ご苦労様」と「お疲れ様」が立場によって変化することになった転換期だと俺は考えている。
挨拶はマナーの基本である。
そこで使うべき言葉によっては相手を不快にさせてしまう、となり、それほどはっきりとしなかった言葉の境界線が発生したのだと考える。
「ご苦労様は目上の人が目下の人に使う言葉。お疲れさまは目下の人から目上の人に使う言葉」
といったように。
実際、今の80歳代以上の人に聞いてみると、ご苦労様を上司や先輩にも使っていたみたいな話が聞けるはずだ。
マナー講師の中にはきちんと歴史を調べてマナーを語る人もいるだろうが、俺の見る限りは9割以上が自分の作り出したマナーを勝手に広めようとするものばかりに見える。
あ、この話は長くなりそうなので、ここで切り上げ。