【傾聴の二つのやり方】
「精神障害と教会」から思わされた事です。
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教会関係の集会に呼ばれて当事者研究の紹介をした際、質疑応答で、「電波をかけられている」と執拗に訴える教会員とのかかわりについて質問が寄せられました。
牧師さんはその訴えに耳を傾け、傾聴されていましたが、負担に感じるようになったようです。
私たちは、それを「対面的な傾聴」と呼んでいます。
一対一で向き合うようなイメージです。
それに対して、私たちが提案しているのが、「並立的傾聴」です。
それは、横並びになり、起きている問題をテーブルの上に載せるようにして、一緒にそれを眺めながら研究的に対話を重ね、対応策を考える関係です。
このような向き合い方で対話をする時には、大きめの紙やホワイトボードに出来事を図示しながら一緒に考えると、より扱いやすくなります。
例えば問題が「電波」であれば、何時頃、どの方面から、どのくらいの強さの電波が来るのか。それをキャッチした時の本人の対応も聞きます。
そうすることで、「やっとわかってもらえた」という安心感が本人に生まれるのです。
教会では、「牧会カウンセリング」という言葉があるように、対面的な傾聴が相談の基本的なイメージとしてあります。
しかし、精神障害をかかえると、私たちが一般的に経験するような、話をじっくりと聴いてもらうことで自分の感情に気づき、自ら解決策を見いだすという自己洞察が起きにくくなります。
周囲からの情報を受け止め、それを適切に処理し、日常の生活の中で表現していく 「情報処理」の過程に障害をかかえているからです。
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「教会では、「牧会カウンセリング」という言葉があるように、対面的な傾聴が相談の基本的なイメージとしてあります。しかし、精神障害をかかえると、私たちが一般的に経験するような、話をじっくりと聴いてもらうことで自分の感情に気づき、自ら解決策を見いだすという自己洞察が起きにくくなります。周囲からの情報を受け止め、それを適切に処理し、日常の生活の中で表現していく 「情報処理」の過程に障害をかかえているからです。」
神学校の授業で牧会カウンセリングを学びます。
傾聴をし、こちらが色々とアドバイスをするのではなく、本人自らが自分の感情に気付き、解決策を見出していく、そのための寄り添いをしていくものです。
これは対面的であります。
もちろんこれが基本的なスタイルでありますが、いろいろな要因によって、本人の自己洞察が難しい場合があります。
そのような場合、限られた時間では難しい事があるのです。
そういう時に並列的傾聴、それはホワイトボードであったり、紙であったりして、文字や絵にして可視化させる。
お互いの目線が一生の方向を向いて話す。
経験的にも、この並列的傾聴の方が本人の理解度が上がると感じています。
ある牧師は個人伝道の時に座る位置は、対面ではなく、並列的に並んで一緒に聖書を学ぶように心がけている、と言いました。
傾聴もそのように並列的なやり方もあることを思わされます。
今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大