【誹謗されても】メッセージ

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聖書朗読
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聖書を朗読します。
使徒11:17ー26
説教題は「誹謗されても」です。

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中心聖句
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使徒言行録/ 11章 26節
このアンティオキアで初めて、弟子たちがキリスト者と呼ばれるようになった。

・重要な拠点 パウロの伝道拠点
今回の箇所ではアンティオキアで初めてキリスト者と呼ばれるようになっていった様子が書かれています。
このアンティオキアの教会は今後重要な教会となっていきます。

それはこれからパウロの伝道旅行の拠点となったからです。
初代の教会における最大の伝道者であるパウロ、今回の箇所では、まだサウロという名前ですが、彼は3度にわたって大伝道旅行を行い、各地に教会をたてあげました。
そしてそこから福音が広がり続け、やがて私たちの住んでいる国日本にも、届けられるようになっていきました。
そのパウロを送り出したのはこのアンティオキア教会だったのです。
ではこのアンティオキアという場所はどのような所だったのでしょうか。

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キリスト者とどこで呼ばれたのか→アンティオキア
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 ・最大の都市の一つであり港町
アンティオキアは、当時の三大都市の一つでありました。
ローマ、アレクサンドリアに次ぐ大きな都市だったのです。
人口は当時で80万人にも上ったと言われていますので、本当に大きな都市であったと思います。

この町は港町であり、貿易中心の町であり、様々な人種の暮らす国際都市でもありました。
港町であるということは、外国からの文化や食べ物、そして宗教などがたくさん入ってきたところです。
そしてこの都市の公用語はギリシャ語でした。
今でいう英語です。
一つの言語で様々な文化や絵画、思想などに触れ合う事ができたのです。
それと同時に、贅沢な生活と不道徳さでも有名なところでありました。
昼も夜も続けられる快楽を追求する人々として有名でもあったのです。

そのような都市にキリスト者が来たのです。
キリストの愛が世界に広がっていく第一歩を踏み出したのは、信仰からかけ離れた場所でありました。
しかし福音とは、暗黒の土地のまさにその闇の中にこそ、光り輝く喜びの知らせであり、大きく広がっていくのです。

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なぜこれほど広がっていっていき、キリスト者と呼ばれるようになったのか
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 ・散らされた人々
このアンティオキアにきたキリスト者達は、計画を持ってきたわけではありませんでした。

19:使徒言行録/ 11章 19節
さて、ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った

元々はステファノが捕まえられて、石打ちの刑によって殺された事件があり、それをきっかけにエルサレムにいたキリスト者たちはより迫害に会うようになってしまい、今まで集まっていたエルサレム教会から散らされていったのです。
そういう意味ではアンティオキアに来たのは計画的にあそこで伝道しよう、としたのではなく、エルサレムから迫害を逃れ、エルサレムから北へ直線距離として460キロ以上離れていた、ここから大体仙台あたりの距離まで、散らされていったキリスト者たちが何とかたどりついた場所の一つがアンティオキアでありました。

・ユダヤ人伝道と異邦人伝道
ではそこからどのようにキリスト者が増えていったのか。
それは異邦人伝道をするようになったからです。

ユダヤ人以外の誰にも御言葉を語っていなかった。
20:使徒言行録/ 11章 20節
ところが、その中にキプロス島やキレネから来た人がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスの福音を告げ知らせた。

最初はユダヤ人以外の人たちには、つまり異邦人には御言葉を語っていなかったのです。
なぜか?
元々彼らは異邦人伝道ということは考慮されていませんでした。
ユダヤ人的な意識からすれば、まずは同じ民族であるユダヤ人に福音を伝えるのは当然の感覚であったからだと思います。

しかしそのような中、アンティオキアに来た人々の中に、キプロス島やキレネから来た人もいました。
その人達は、今まではユダヤ人以外には御言葉を伝えていませんでしたが、ギリシャ語を話す異邦人にも語りかけ始めたのです。
これをきっかけに、本格的な異邦人伝道が始まっていったのです。
最初の異邦人教会がついにここに誕生したのでした。

このような今までにない画期的な伝道が、キプロス島やキレネから来た人という名もない信徒たちによって行われたことは非常に驚くことだと思います。
このような働きをする人は、名前がある有名な人、例えばペトロであったり、ヨハネであったりなどのイメージを持ちますが、神は伝道の新しい道を開くために、名前を記されていない信徒達を、世界宣教の先駆者として用いられるのです。

そこからアンティオキア教会は神の御手が共にあり、神に立ち帰る者が多く起こされました。

神に立ち帰るもの。
ギリシア人でも、異邦人でも、どの国籍の人でも、本当に立ち帰るべき魂のふるさと、その存在のふるさと、いのちのふるさとは、神であるイエスキリストであると。
キリストの教会の伝道者たちが語る神の愛は、自分たちを異教に連れ出すものではなくて、むしろふるさとに立ち帰らせるものでありました。
洗礼を受けて、み言葉に生きるようになった者は、ふるさとに帰る豊かな安らぎを覚えたのです。

不思議だなと思うのです。
このアンティオキア教会が誕生したきっかけが、迫害され散らされた人々であること。
人が計画してアンティオキアにきたわけではない。
でもそこから福音の喜びが広がっていきました。
実はこの「散らされる」という言葉は、「蒔く」という意味もあります。
迫害によって散らされた弟子たちは、それと同時に福音の種を撒いていったのです。
人の目から見ると、エルサレムで初めて教会が誕生し、そこに三千人以上の悔い改めた人ができ、毎日のように救われる人が生み出されていたのに、迫害などの問題によって教会が散らされる事は非常に心痛める事だと思うのです。
せっかくこれだけキリスト者が増えていったのに、今や散ってしまった。
人がいなくなってしまった。
その現実を見る時に嘆いてしまうと思うのです。
しかしキリスト者はたとえ散らされていっても、それは同時に福音を蒔くことにもなる。

私たちもそうです。
今はある意味でコロナによって散られている私たちであります。
昔のように集まることも、交わることも、なかなかできないでいます。
あの時はたくさん人がいたのに、今や散ってしまっている。
その現実に嘆く。
しかしそのような中でも、ある方はオンラインで礼拝を聞くために、教会に行っていないお孫さんにパソコン操作をしてもらい、その結果そのお孫さんが一緒に礼拝を見るようになりました。
今までは自分だけが教会に出かけていって、家ではなかなかキリストのことは言えなかったのに、今ではパソコンを通して家に賛美歌が流れ、御言葉が語られるようになる。
そのように神は、私たちを時にただ散らされ、制限されるのではなく、それと同時に福音の種を蒔く機会に変えて下さるのです。

・エルサレム教会はバルナバを遣わした 手助けをした
成長するアンティオキア教会の噂を聞いて、初代教会のエルサレム教会はある人を遣わしました。
それはバルナバです。
彼は信徒でありました。

彼は立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた者であり、キプロス生まれのレビ人であったため、最初に異邦人伝道していったキプロスとクレネの人達と話し合うのに適した人物だったと思われます。

彼は生まれたばかりの異邦人教会に向かったのです。
彼がそこで見たのは、「神の恵」以外何ものでもありませんでした。
異邦人たち、様々な人種が集まって、イエスキリストに立ち返っていく姿を見ること、それはまさに神の恵以外ないのです。
彼はアンティオキア教会で、それは新しいキリスト者に対してどのように励ましていったか。
大きく分けて二つあります。

まず1つ目には彼らに対して
揺るぎない心で主にとどまっているようにと、皆を励ましました。
さらにこの後1年間とどまって聖徒たちを教えていたことが記されています。
バルナバはすぐに他の場所へうつっていくこともできましたが、じっくり彼らを教え続けたのです。

信仰生活で大切なのは、一時的な感情や、その場の雰囲気だけでなく、揺るぎない心、つまり自分の信仰の立場を見定め、決心して「主にとどまっている」ことであります。
キリスト者になること、救われることは喜びであります。
それと同時に、感情だけでなく、神の言葉、御言葉にとどまり続けること、聖書に触れ、共に礼拝をし続けることが、私たちの信仰を様々な考えや誘惑から守るために重要なのです。

元坂戸キリスト教会の副牧師であった錦織寛先生がおっしゃっていたことですが、当時主任牧師であった村上先生の時、この教会が一時期急成長した時期がありました。
救われる人を主が起こされたのです。
周りは成長していく教会の姿を見て嬉しさに包まれていました。
でも村上先生は当時の様子をじっと見ながら、信徒たちにしっかり聖書を共に読む指導をしたと聞きました。

キリスト者を起こされる、それは聖霊の働きであります。
それと同時に、揺るぎない心でキリストに留まっていく。
共に聖書を読み、学び、礼拝し続けること。
アンティオキアのように今の時代も、様々な思想や宗教があります。
それらは一つの素晴らしい教えであるかもしれません。
しかし、私たちの罪を赦し、生きる時も死を目の前にしても命を支え続けるキリストの愛はただ一つです。
他の様々な教えなどによって揺れ動き、自分の信仰の立場が揺れ動かないためにも、聖書を、礼拝を通して主にとどまる事が、私たち自身を守るのです。

そしてバルナバのしたことの2つ目が、バルナバはサウロを探しにいき、アンティオキアに連れてきたことです。
アンティオキアでどんどん人が導かれていくことで、教え、監督する者が不足していったからかもしれませんが、サウロを伝道の世界に引き出そうとして、バルナバはわざわざ彼がいるタルソまで出かけていったのです。

サウロは元々迫害者です。
それが主によって取り扱われ、キリスト者になりました。
そのエルサレムに行き、バルナバのとりなしによって使徒たちと会い、その後彼は故郷のタルソに帰っていました。
バルナバは、サウロの純粋で熱心な信仰、教育を受けていて、実行力に富んでいて、異邦人伝道者として神が選ばれた器であることを判断し、サウロをアンティオキアに連れていきました。
そこで二人は1年間アンティオキアで大勢の人たちに教えて、多くの実を結んだのです。

サウロはこの後宣教をさらに進め、影響が広がり、アンティオキア教会を拠点に伝道旅行をし、そしてその途中数々の手紙を残しました。
それが聖書の大部分に残されています。
でもそのようなサウロでさえ、バルナバによって見つけ出され、そこから大きな働きをしたのです。
神はバルナバを通して、サウロの適した働き場として、異邦人教会アンティオキア教会にお遣わしになったのです。
こうしてアンティオキア教会はますます増え続けました。

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キリスト者とは何か?
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アンティオキアでは、弟子たちが、明けても暮れてもキリストの名を言い、キリスト一辺倒に生きている人々をあだ名にして、周囲の人々が、あれは「キリスト者、クリスチャン」だと言われるようになりました。

・尊敬というより嘲が多い
キリスト者、クリスチャン、今では普通にキリストを信じる人たちのことを言いますが、元々は誹謗されて、軽蔑された意味を含んで付けたものであろうと言われています。
「いつも彼らはキリスト、キリスト言っている、キリスト男だキリスト女だ」そう呼ばれるようになったのです。

・キリストにあって一つ
そもそもキリスト者とは何でしょうか。
それはキリストに属するもの、キリストのものであります。
「そうだ、私たちはキリストのもの、キリスト男、キリスト女だ。
私たちは罪の奴隷であった。
でもイエスキリストによって、キリストのものとなった。
キリストの十字架の血潮によって私たちの罪が赦され、今度はキリストが私たちの主人となったのだ。
そしてキリストは十字架で死んで罪を赦され終わっただけではない。
甦られた。
今も生きておられるキリストのものとなって生きるのが私たちだ」

そのようにしてキリストのことを証していったのです。
この喜びの知らせが、アンティオキアの町に広がっていったのです。
ユダヤ人と異邦人たちが混じり合っていた教会。
人種も、文化も、年齢も異なる、そこで唯一共通していたのはキリストの愛でありました。

これは当時栄えていて、港町であり、様々な文化や思想、宗教が混在する中でも今まで聞いたことのない、喜びの知らせでありました。

「神である方がなぜ人間になるのだ?
そして神の子がなぜ十字架にかかるのだ?
罪は無いのに?
しかも死んだだけでなく復活した?
そして今も生きて私たちと共におられる?
そんな話今まで聞いたことない、、、」

この唯一無二の喜びの知らせ、福音の知らせがこの町に広がっていったのです。
彼らは今まで聞いたことのないこの知らせを喜んで聞いたのです。

私たちも、おそらく教会でなければ、きっと一緒にはならなかったであろう、様々な人と共にキリストを礼拝しています。
人種も、年齢も、性別も、職業も、文化も、生い立ちも全然違う人たちがここに集まるのです。
私たちを結ぶものはただ一つ、キリストの愛によって捕らえられ、キリストのものとなった、キリスト者、クリスチャンが集う共同体、教会であります。

私たちはアンティオキアのように、様々な文化や思想、考え方、宗教などに晒されている時代であります。
そこには確かに素晴らしい考え方や思想、宗教もあるでしょう。
しかしただイエスキリストだけが私たちの罪を赦し、そして復活され、死から勝利された、この喜びの知らせは、他のものをはるかに凌ぐ、唯一無二の生きた喜びの知らせであります。

私たちはキリスト者である。
そう私たちはキリストのもの。
生きるにしても死ぬにしても私たちは主のもの、キリストのものなのです。
死ですらキリストと私たちを引き離すことはないのです。
だからこそ、この私たちを真実に生かすキリストの愛にたって、揺るぎない心で、キリストのうちにとどまっていこうではありませんか。

お祈りします。

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祈り
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天のお父様、私たちはキリスト者、あなたのものです。
あなたの十字架と復活によって、今もこれからも、死ぬ時もあなたのものであり続けること、それはあなたが死ぬ時も決して離れることのない確かな愛によって結ばれていることを感謝いたします。

どうぞ今私たちが生きているこの世界ではさまざまな思想や考え方、問題があり、あなたの愛を疑わせるものがあります。
どうぞ揺るがない心で、あなたの愛の確かさにとどまらさせて下さい。
イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。

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