なぜ牧師になりたいのか
私の家族構成は、おじいちゃんおばあちゃん父母私の5人家族でした。
クリスチャンは母だけであり、おじいちゃんおばあちゃんは仏教、
そして父は自分が神様(笑)という宗教観がバラバラな家庭で育ちました。
小さい頃母親に強制連行され(笑)教会学校に行き始め、そして色々な学びを通して20歳の時に受洗しました。
大学生の時です。
就職活動をしている時、元気であった母親が急に倒れました。
検査の結果、肺ガンだったんです。
しかもステージ4といっていわゆる末期状態。
肺全体にガンが広がったため、手術は不可能。
余命があまりないという状態だったんです。
当時日本の平均寿命は約80歳と言われ、
20代前半の私にとって、死というのはまだまだ先のものであり、
遠いものと思ってましたが、
自分の身近な人が、死に直面していることを目の当たりにし、改めて、
「人は死ぬ」
この現実を突きつけられました。
そしてこれをきっかけに、今まで考えたことが無かった、
自分は何のために生きているのであろうか、
自分の人生の意味とは何か、
ということを考えるようになりました。
そんなある日、家に帰る途中、頭の中に突然光がおおい、神様から
「牧師になり、私のことを伝えていきなさい」
と言われたように思いました。
最初は幻覚、または夢でも見たのかと思いましたが、
この「牧師」という言葉が、
これこそ自分の生きる道であると、
その時理由はわかりませんでしたが確信がありました。
「自分は牧師になる」
ゴールは決まった。
そのために、牧師になるということは人をまとめる力、
リーダーシップが必要であり、その経験を早くさせてくれるところに
就職したいと思ったんです。
そのような事を考えながら就活していた時ある会社に出会いました。
ワタミという会社です。
そこで店長経験をすることによってリーダーシップを学び、
4年間働いて神学校に入ろうと計画を立て実際そうしました。
そして神学校に行こうと思いましが、母親がそろそろ危ないという事で
その年は神学校に行くのをやめました。
母は結果的にガンと分かってから5年間生かされたんです。
お医者さんの見解では半年から1年と言われたにも関わらずです。
母親が亡くなる数日前、
もう意識があまりなく酸素マスクをつけている状態の時でした。
苦しんでいるのを見て、何かできないかなと思い、
ベットの近くにいつも置いてあった聖書を広げ、
母が好きな御言葉を読みました。
主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、
のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。 (イザヤ書 40:31 )
これを読み終えた時、あまり意識のないはずの母がニコッとしたんです。
それを見た時私は、
「あ、確かに肉体はいつかは滅びていく、
しかし神の言葉、御言葉はそのような中でも、
心に力と平安を与えることができ、
人を慰めることができるものだ」
と気づきそして私は、
この神の言葉を一人でも多くの人に伝え続けること
これこそが自分の使命だということを改めて確信したんです。
母さん
あなたの生き様をしかと見届けました。
これから自分のこの命を使って、
人が死にゆくような時でも心に平安を与える、
この神様の御言葉を一人でも多くの人に伝えていきます
と。
これが僕が牧師になる大きな理由です。
どうぞこれからもみなさん宜しくお願い致します〜
長瀬雄大