説教で気をつけること

五つの目的が教会を動かす11章から思わされたこと。

今回の心に残った文章がこれです。

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「イエスが人と出会った時はいつでも、体の痛み、必要、興味から始められた。
弟子を送り出した時も同じことをするように教えられた。

必要と感じていることや痛みが一貫して強調されていることに注意してほしい。
肉体や心が傷ついているとき、ギリシャ語やヘブル語の単語の意味に興味は持てない。
ただ治りたいだけである。

イエスは常に、人々の必要と痛みに働きかけた。」

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とても心に銘じたいことだと思います。

説教の準備のために色々調べ勉強していくと、ついそのことを盛りだくさん入れてしゃべりたい誘惑にかられます。
これだけ調べました、って言いたいと。

でも特に未信者にとってみればそれはどうでもいいこと。

ただ治りたいだけです。


前に、妻がある教会で説教を聞いたとき僕に一言こういいました。
「なんか研究発表会みたいだった」

こう妻に言われないよう気をつけていきたいと思いました。


今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)


長瀬雄大


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