【失敗の受け止め方】
「境界線」から思わされたことです。
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本当の必要に目を向けたからといって、問題になっている行動がなくなるとは限りません。
自己境界線問題の根底にある本当の必要に対処しても、その問題が繰り返し戻ってくるのでがっかりする人が大勢います。
「ううむ、教会でサポートグループに入ったけど、私の遅刻癖(あるいはポルノ、浪費、人の話に口をはさんでしまう癖)は相変わらずだ。これは全部無駄だったのだろうか」
そうではありません。
破壊的なパターンが戻ってくるのは、神が私たちを永遠のために整え、聖別し、成熟させていることの証拠です。
私たちは物事を学ぶ練習を続ける必要があります。
よりよい自己境界線を学ぶプロセスも、車の運転や泳ぎ、外国語などを学ぶのと同じです。
私たちは失敗を避けようとするのではなく、それを受け止める必要があります。
失敗を避けることに腐心する人たちは、成熟することから逃げています。
私たちがイエスに惹かれるのは、彼が「お受けになった多くの苦しみによって従順を学ばれた」からです(ヘブル五・8)。
成長する人たちはまた、顔に戦いの傷跡や、苦労によるシワや、涙の跡のある人たちに引き寄せられるものです。
そのような人たちの教えは、顔にシワの刻まれていない、一度も失敗したことのない人たち、本当の意味で人生を体験したことのない人たちよりもずっと信頼するに足ります。
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何事もそうですが、何かを教わったからといって、その後完璧にできる人はいません。
スポーツや勉強など、正しいやり方を知っても、何度も何度も練習が必要です。
かたや精神面の回復となると、回復途中に悪習慣に戻ったりすると、途端に全部がダメだと、周りから、そして自分自身も思ってしまう傾向があります。
私の妻は摂食障害でしたが何度も、良くなっては、また戻り、を繰り返していました。
現在は治っています。
良くなって、また戻り、の繰り返しも、一見無駄に思えることも癒しの過程の一部なのです。
その積み重ねもあっての現在なのです。
スポーツや勉強面で何度も失敗しても、それも成長と受け止めることができるのに、自分の悪習慣や精神面での失敗については、なかなか受け止めることができない事があると思わされます。
今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大