【時間病という病】
「パパラギ 」からの学びです。
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これはある種の病気かもしれぬ、と私は言う。
なぜかというとこうなのだ。
かりに白人が、何かやりたいという欲望を持つとする。
そのほうに心が動くだろう。
たとえば、日光の中へ出て行くとか、川でカヌーに乗るとか、娘を愛するとか。
しかしそのとき彼は、「いや、楽しんでなどいられない。おれにはひまがないのだ」という考えにとり憑かれる。
だからたいてい欲望はしぼんでしまう。
時間はそこにある。
あってもまったく見ようとはしない。
彼は自分の時間をうばう無数のものの名まえをあげ、楽しみも喜びも持てない仕事の前へ、ぶつくさ不平を言いながらしゃがんでしまう。
だが、その仕事を強いたのは、ほかのだれでもない、彼自身なのである。
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この本「パパラギ」とは「白い人」「外国人」の意味です。
本書では、南海の酋長ツイアビがヨーロッパを訪れた際に目にした「パパラギ」の社会について語るという形式で、要は西洋文明の批判が展開されているものです。
今回のテーマは時間です。
私自身「時間」というのをとても大事にしてます。
時間は二度と返ってこないからです。
でもこの文章を見て自分は時間病に冒されているなぁと痛感しました。
たくさんのやることリストによって縛られているからです。
そして自然と湧いてくる、子供と遊びたいという気持ちや、心を落ち着かせたいという気持ちが、やることリストによって時間がないと感じ、後回しにしてしまうことが多々あるからです。
時間を管理しようとするがあまり、それに縛られ、結果窮屈になる、という本来の目的からいつの間にかズレてしまう自分がいると思わされました。
今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大